福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音・東京10社の巡拝記録をつくってくださいました,その1

2015-07-11 | 開催報告/巡礼記録
江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝第三回の記録


東京地方は、7月に入り、連日雨模様の日が続き憂鬱な気分になります。福聚講(高原耕昇講元)では、7月5日(日)、第三回目の江戸三十三観音霊場・東京十社の巡拝行を行いました。前日は、一日中、小雨が降り続いており、テレビの天気予報は5日も雨模様と報道していました。雨中の巡拝行は?と、不束ながら大変だな、と思いきや、高原講元様から、私の心境を見透かしたかのように、連絡が入り、「雨の日こそ、巡拝のお蔭があるのです。決行します」との”お告げ“がありました。


当日5日、朝のうちは、小雨が降っていました。午前10時、この日の巡礼第一番所である富岡八幡宮(深川八幡]の境内に集合しました。7人参加、うち1人婦人。雨天のせいか、参詣する人影もまばらで神域の境内も、ひっそりと静まり返つて居ました。しかし、名だたる、富岡八幡宮です。子供を連れた若い夫婦が、神殿で、神主からお祓いを神妙に受けていました。控えに、2~3組のカップルが待機していました。


私たちは、神主が、祝詞を上げている声を聞きながら、各人めいめいに、「般若心経秘鍵」を黙読しながら、心願を祈祷しました。


富岡八幡宮(深川八幡)・東京都江東区富岡1-20-3[東京メトロ東西線、都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」下車。御祭神・応神天皇外八柱の神を祀る.寛永4年(1627年)菅原道真公の末裔といわれる永盛法印が、霊夢に感じ、当時,永代島と呼ばれた小島に創祀した。昔は、周辺一帯は、海浜であつたらしく、砂洲一帯を埋め立て、境内と氏子の居住地を開き、深川発展の元になったそうです。隅田川両岸一帯(深川・現中央区新川・箱崎地区)の氏子をはじめ、広く人々の崇敬を集めて「深川の八幡さま」として親しまれてきました。徳川将軍家は源氏の流れを汲むとされ、源氏の氏神様である八幡宮を、殊のほか尊崇し、歴代将軍が参拝、社殿の造営修理を行うなど、手厚く保護してきました。明治時代では、朝廷は、勅使を遣わし幣帛を奉られ祈念されたと言われています。八幡宮の祭礼は、深川八幡祭として、江戸三大祭のひとつとして、氏子町内神輿百二十数基による、勇壮な水掛け祭りが有名です。平成3年に復活した御本社神輿は、台輪幅五尺の日本一の黄金神輿と言われています。

また、貞享元年(1684年)、寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われ、今日の大相撲の制度がここで確立された、発祥の神社です。歴代横綱の四股名を刻んだ横綱の力士碑がずらりと並んでいて壮観です。相撲フアンなら、たまらない必見の碑です。[富岡八幡宮御由緒より]


神社境内の参拝は、佛教の寺院の参拝とは趣が違い、一種独特な厳かで、神韻幖秒たる雰囲気を感じさせられます。

御本殿始め、建造物に使われる柱や梁などの用材が、全て深紅の朱色で彩られており、境内の白砂と紅白の対比が、一種独特の「神韻」を感じさせるのかもしれません。また、御簾が懸けられている神殿の奥に、ご神木二本が置かれていて、霊妙な清清しさを感じさせられるのです。この、感覚は、寺院では、感じられないものです。


こうした、神がかりな感覚を触発させる神妙な、宗教的・美的感覚を創造し、今日まで、新鮮な感情を保たせてきた、昔の人たちの「魂の偉力」を、つくづく、感じさせられました。( 続)


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