主観のものでもなく、客観のものでもなく、
関係ない訳でなく、理に合わないものはない。
目の前のものが、在りのまま見えるだけであり、
一切のものは、現実の存在、実在する訳ではない。
この世には、四つの絶対的な要素がある。
四つとは、原因、条件、結果、実感である。
確かな法則は、この四つだけで、出来ている。
我々は、主観を実在として認識できない。
それ故に、客観を実在として認識できない。
現実は、法則そのもので、模造品ではない。
絶対的な法則で、現実に従わないものはなく、
法則に従うものだけが、現実に現れるのである。
この世界には、明らかな法則が現れている。
あらゆる現象は、様々な法則そのものである。
現れている現象は、現われている度合に応じて、
現れていない現象は、現われてない度合に応じて。
抽象的な物だろうと、具体的な物だろうと、
四つの要素が、目的に縛られている事はない。
抽象的なものが、現実に含まれる、事実はない。
具体的なものから、現実が生まれる、事実もない。
現実の宇宙は、安定であり、不安定である。
一つに融け合い、どちらかに偏ることはない。
というのも、完全に自由である筈の理性でさえ、
具体的に、固定化されてしまっているからである。
このように、不安定こそが、真理を指している。
真理は不安定である、それだけは、安定している。
この世界が、法則通りに見えていないなら、
まだ、自分の心を統御する力が足りていない。
絶え間なく移り変わる心が、統御されてないと、
たとえ、確かなものでも、不確かなものに見える。
我々は、存在として、外に見とめるものを、
認識して、概念として、内に認めるのである。
我々は、存在そのものを、見とめる訳ではない。
そう考えると、世界の実在など考えられなくなる。
世界は、分かれたものが、集められている。
現実というものが、実在している訳ではない。
現実とは、過去による、現在の解釈に過ぎない。
それゆえに、現実が実在するとは、考えられない。
この世界は、現実的である具体的なものが、
確かな法則に従い、連続しているだけである。
たとえ、確かな法則と無関係な状況を作っても、
その結果が、現実に連続することは、絶対にない。
現実は、過去による現在の解釈に過ぎない。
ところが、現実を、実在と錯覚した場合には、
確かな法則に従ってないように、見えてしまう。
しかし、それすら、そう解釈しているだけである。
現実とは、明瞭な真理を覆すものではなく、
更に言えば、曖昧な真理を覆すものでもない。
もし、現実というものが、存在すると考えると、
明瞭と曖昧が融け合さった、現実が消えてしまう。
関係ない訳でなく、理に合わないものはない。
目の前のものが、在りのまま見えるだけであり、
一切のものは、現実の存在、実在する訳ではない。
この世には、四つの絶対的な要素がある。
四つとは、原因、条件、結果、実感である。
確かな法則は、この四つだけで、出来ている。
我々は、主観を実在として認識できない。
それ故に、客観を実在として認識できない。
現実は、法則そのもので、模造品ではない。
絶対的な法則で、現実に従わないものはなく、
法則に従うものだけが、現実に現れるのである。
この世界には、明らかな法則が現れている。
あらゆる現象は、様々な法則そのものである。
現れている現象は、現われている度合に応じて、
現れていない現象は、現われてない度合に応じて。
抽象的な物だろうと、具体的な物だろうと、
四つの要素が、目的に縛られている事はない。
抽象的なものが、現実に含まれる、事実はない。
具体的なものから、現実が生まれる、事実もない。
現実の宇宙は、安定であり、不安定である。
一つに融け合い、どちらかに偏ることはない。
というのも、完全に自由である筈の理性でさえ、
具体的に、固定化されてしまっているからである。
このように、不安定こそが、真理を指している。
真理は不安定である、それだけは、安定している。
この世界が、法則通りに見えていないなら、
まだ、自分の心を統御する力が足りていない。
絶え間なく移り変わる心が、統御されてないと、
たとえ、確かなものでも、不確かなものに見える。
我々は、存在として、外に見とめるものを、
認識して、概念として、内に認めるのである。
我々は、存在そのものを、見とめる訳ではない。
そう考えると、世界の実在など考えられなくなる。
世界は、分かれたものが、集められている。
現実というものが、実在している訳ではない。
現実とは、過去による、現在の解釈に過ぎない。
それゆえに、現実が実在するとは、考えられない。
この世界は、現実的である具体的なものが、
確かな法則に従い、連続しているだけである。
たとえ、確かな法則と無関係な状況を作っても、
その結果が、現実に連続することは、絶対にない。
現実は、過去による現在の解釈に過ぎない。
ところが、現実を、実在と錯覚した場合には、
確かな法則に従ってないように、見えてしまう。
しかし、それすら、そう解釈しているだけである。
現実とは、明瞭な真理を覆すものではなく、
更に言えば、曖昧な真理を覆すものでもない。
もし、現実というものが、存在すると考えると、
明瞭と曖昧が融け合さった、現実が消えてしまう。