福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶『大日経綱要』の要約その31(終)

2013-10-31 | 諸経
第十二、十縁生句
(ここは大日経住心品の最後の部分、「祕密主、若し眞言門に菩薩行を修する諸菩薩は、深修して十縁生句を觀察し、當に眞言行において通達し作證すべし。云何が十と為す。謂く、幻・陽焔・夢・影・乾闥婆城・響・水月・浮泡・虚空華・旋火輪の如し。祕密主、彼の眞言門に菩薩行を修する諸菩薩は當に是の如く觀察すべし。云何んが幻となす。謂く、呪術藥力能造所造種種色像のごときは、自眼を惑わすが故に、希有の事を見る。展轉相生して十方を往來すれども、然も彼れ去るに非ず、不去に非ず。何以故。本性淨の故に。是の如くの眞言の幻も、持誦成就して能く一切を生ず。
 復た次に祕密主。陽焔の性は空なり。彼れ世人の妄想によって、成立して談議するところ有、是の如くの眞言の想も唯だ是れ假名なり。
 復た次に祕密主。夢中の所見・晝日牟呼栗多・刹那歳時等に住し、種種の異類あって諸の苦樂を受け、覺め已れば都て所見無きが如し。是の如くの夢の眞言行も應に知るべし亦た爾なり。
 復た次に祕密主。影の喩を以て、眞言能く悉地を發くことを解了すべし。面鏡に縁じて面像を現ずる如く、彼の眞言の悉地も、當に是の如く知るべし。
 復た次に祕密主。乾闥婆城の譬を以て、悉地宮を成就することを解了すべし。
 復た次に祕密主。以響の喩を以て眞言の聲を解了すべし。聲によって響がある如く、彼の眞言者、當に是の如く解すべし。
 復た次に祕密主。月の出るが故に淨水を照して月影像を現ずるがごとく、是の眞言の水月の喩を以て、彼持明者當に是の如く説くべし。
 復た次に祕密主。天より降雨し泡を生ずる如く、彼の眞言の悉地種種の變化も、當に知るべし爾なり。
 復た次に祕密主。空中には衆生もなく、壽命もなく、彼の作者も不可得なり、心迷亂するを以ての故に、是の如くの種種の妄見を生ずるがごとし。
 復た次に祕密主。譬えば火燼の若し人執持して手をおいて、以って空中に旋轉するに、輪の像を生ずるが如し。
 祕密主。應に是の如く、大乘の句・心の句・無等等の句・必定句・正等覺の句・漸次大乘生句を了知すべし。當に法財を具足し、種種の工巧大智を出生し、實の如く遍く一切の心想を知ることを得べし。」について述べています。)
・・・大日経によって修業するものは、自身は即ち金剛薩埵であり、毘盧遮那の具体法身であるとの深い仏地に住するとともに、この佛位に直入することのできる如来果地の三密門を修するから、一念に佛位に証入すべきで筈であるが、無始以来の分別妄執のために自分は凡夫であるとの思いを発し、我即佛を信ずることができない。そこで如来三密の行を修し、加持感応の力によって漸次に妄執を消し、次第に仏位に入れる位階を六つに分けて六無畏という。そしてこの十縁生句は六無畏の行位中に用いる心垢浄除の法門である。一切は皆因縁生であって生じたものそれ自体に固有の自性のないことを、幻・陽焔・夢・影・乾闥婆城・響・水月・浮泡・虚空華・旋火輪によせて示した法門である。・・小乗の人空、三乗の二空、無所得観、天台の一念三千、華厳の重々無尽観等は皆この十喩の観に摂する。・・ただ一心無相の理観により解脱を得ようとする一般仏教は、如来の加持力を欠くから、習定久しきに亘って勤修しなければならないが、密教は如来の三密門を修し、加持感応の境に入る時、自ら分別の念を離れ無分別の真智を発得し、本覚の真心に契証できることを説くものである。

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