恵果阿闍梨は真言宗付法第七祖として大師に真言密教を伝えられましたが永貞元年十二月十五日に薨じられています。
大師の秘密曼荼羅教付法伝には「永貞元年十二月十五日の五更を以て世を去んぬ。春秋六十、法夏四十なり。・・」とあります。また大師の師としての関係は「御将来目録」にまとめて書かれてあります。
「空海去んじ延暦二十三年季夏の月、入唐の大使藤原朝臣に随って同じく第一船に上りて咸陽に発赴す。その年八月福州に到り、着岸す。十二月下旬長安城に到る。宣陽坊の官宅に安置す。二十四年仲春十一日大使等軔(ながえ)を本朝に旋す。ただ空海のみ孒然として(けつぜん、唯一人)勅に准じて西明寺の永忠和尚の故院に留住す。
ここにおいて城中を歴て名徳を訪ふに、偶然として青龍寺東院ノ和尚、法の諱は恵果阿闍梨に遇ひ奉る。その大徳はすなわち大興善寺の大広智三蔵の付法の弟子也。徳はこれ時の尊、道はすなわち帝の師なり。三朝(玄宗・粛宗・代宗)はこれを尊んで灌頂を受け、四衆これを仰いで密蔵を学す。空海西明寺の志明談勝法師等五六人と同じく往ひて和尚に見ゆ。
和尚忽ち見て笑を含み、喜歓して告げて言はく。
「我先より汝が来ることを知りて、相待つこと久し。今日相見ゆること大に好し、大に好し。
報命竭きなんと欲すれども付法に人なし。必ず須からく速やかに香花を弁じて、潅頂壇ニ入るべし」と。すなわち本院に帰り、供具を営弁して六月上旬に学法潅頂壇ニ入る。
この日大悲胎蔵大曼陀羅に臨んで法に依って花を抛つに、偶然にして中台毘盧遮那如来の身上に着く。阿闍梨讃していはく、不可思議不可思議なりと。再三讃歎したまふ。すなわち
五部潅頂に沐し、三密加持を受く。是より以後胎蔵の梵字・儀軌を受け、諸尊の瑜伽観智を学す。
七月上旬に更に金剛界の大曼荼羅に臨み、重ねて五部潅頂を受く。
亦抛つに毘盧遮那を得タたり。和尚驚歎したまふこと前の如し。
八月上旬に亦伝法阿闍梨位の潅頂を受く。
是の日五百の僧斎を設けて、普く四衆を供す。
青龍大興善寺等の供奉の大徳等、並びて斎筵に臨み、悉く皆随喜す。
金剛頂瑜伽、五部真言密契相続いで受け、梵字梵讃間もって是を学す。
和尚つげていはく「・・・宣しく是の両部大曼荼羅、一百余部の金剛乗の法、及びに三蔵転付の物、並びに供養の具等、本郷に帰りて海内に流伝せんことを請ふ。
纔に汝が来れるを見て、命の足らざるを恐れぬ。
今即ち授法の在るあり。経像の功畢んぬ。
早く郷国に帰へり、以って国家に奉じ、天下に流布して、蒼生の福を増セ。
然れば則ち四海泰く万人楽しまん。是則チち仏恩を報じ師徳を報ず。
国の為には忠なり、家に於ては孝なり。・・・汝は其れ行きて、是を東国に伝へよ。
努力、努力。(「御請来目録」)」
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