不条理を乗り越えた例
・古田孝之・・・、工学博士。千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長。
1971年(3歳の頃)鉄腕アトムの天馬博士を見てロボット博士を志す。当時、通っていたインドの仏教寺で日本人の高僧、藤井日達の教えを受ける。日本に帰国後、14歳のとき、脊髄の難病(治るのは一万人に一人)にかかり下半身麻痺、余命8年と宣告をうけ車椅子生活となるも奇跡の復活。青山学院大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士後期課程中途退学。1996年、同大学理工学部機械工学科助手となる。
1998年、科学技術振興機構(文部科学省特殊法人)ERATO北野共生システムプロジェクトに所属。ロボット開発グループリーダーとして、ERATO北野共生システムプロジェクトに携わり、ヒューマノイドロボット開発に従事する。
2000年、博士号(工学)取得。世界で初めて人工知能を搭載したロボット「morph2」を開発。その後人間型ロボット「morph3」を共同開発。2003年、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長へ着任する。
・垣内俊哉。骨形成不全症のため幼少期より車椅子生活。立命館大。株式会社ミライロの創業者社長。
https://www.sankei.com/article/20211001-EUJOXVKKIZKLVBFQO52ETM44ZA/
・吉藤 健太朗(株式会社オリィ研究所設立者)小学校5年生から中学2年生までの3年半、不登校だったが工業高校時代に電動車椅子の新機構の発明に関わり、2004年の高校生科学技術チャレンジ(JSEC)で文部科学大臣賞を受賞。翌2005年にアメリカで開催されたインテル国際学生科学技術フェア(ISEF)に日本代表として出場し、グランドアワード3位に。
高専で人工知能を学んだ後、早稲田大学創造理工学部へ進学。自身の不登校の体験をもとに、対孤独用分身コミュニケーションロボット「OriHime」を開発(この功績から2012年に「人間力大賞」を受賞)。
開発したロボットを多くの人に使ってもらうべく、株式会社オリィ研究所を設立。自身の体験から「ベッドの上にいながら、会いたい人と会い、社会に参加できる未来の実現」を理念に、開発を進めている。ロボットコミュニケーター。2016年、Forbes Asia 30 Under 30 Industry, Manufacturing & Energy部門 選出。
・春山満。26歳で進行性筋ジストロフィーを発症、首から下の運動機能を喪失。しかし、絶望のふちで起業を志し、「ハンディネットワーク インターナショナル」を設立。医療福祉ビジネスに乗り出して成功し、車椅子社長として、アメリカのビジネスウイーク誌で「アジアの星25人」に選ばれた。
https://www.sankei.com/article/20130804-ON3OKO6TQNJMBD7AUEKSUQQV5Y/
・佐藤仙務。脊髄性筋萎縮症で寝たきりながら19歳でホームページや名刺の作成を請け負う会社「仙拓」を立ち上げる。障害区分は6(認定の最重度)ながらパソコンを介して、両手によるマウス操作と会話や表情により業務。「仙拓」は、一般社団法人日本経営士会のビジネス・イノベーション・アワード2013において「会長特別賞」を受賞した。筋ジストロフィーの重度障害者を「社員」として雇用。雇用者の数は2018年現在は8人。
・早瀬憲太郎。ろう者であり、ろう者向けの学習塾の経営を行うほか、映像・映画の製作。妻は聴覚障害者で初の薬剤師となった早瀨久美。妻と共に自転車競技のデフアスリートでもあり、デフリンピックの日本代表。
https://www.sankei.com/article/20210918-TF6EIAWWDRI3LN5TP3VGR5LE2Y/
・兼子文晴。うつ病で1日2、3時間しか動けない体ながら、障害者施設と企業をつなぐプラットフォーム「ミンナのシゴト」を創業。全国296の事業所が登録し、そこで働く障がい者は6533人。上場企業8社を含めた90社がサービスを利用中。
https://www.sankei.com/article/20210422-GNTKO5MAIFOBLG6SB76LJ5W5LM/
・安藤信哉。18歳で交通事故により頸椎損傷の重度障碍者となり車椅子生活。その後、関東学院大学大学院修士課程(経済学研究科経営学専攻)修了。03年、障がい者のヘルパー派遣事業所(有)パーソナルアシスタント町田設立。
・斎藤秀一。発達障害でIT社長。
・恩田聖教。「FC岐阜」の社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。クラウドファンディング(LIFULLソーシャルファンディング)にて創業資金を募り、2016年6月30日より、株式会社「まんまる笑店」の代表取締役社長。
https://www.sankei.com/photo/daily/expand/160510/dly1605100013-p1.html
・斎藤秀一。ADHDで不登校。
発達障害児支援施設向け運営管理システムを開発したり、農福連携のための農業法人“株式会社ココトモファーム"を設立。
・2009年のノーベル医学生理学賞受賞者キャロル・W・グライダーさんは学習障害児だった。
グライダーさんが持つ「ディスレクシア(難読症)」とは、学習障害の一つで、正確に単語認識に困難さがあり、結果的に読解や読む機会が少なくなり、語彙の発達や背景知識の獲得を妨げるとなりうる、とされている。障害のため、学者である親を持ちながらも、勉強は不得意で、自ら「頭が悪い子」と思っていた。障害の壁を乗り越えるため、グライダーさんは様々な手立てを考え、記憶力を高め、取り組んでいることに集中する能力を身につけ、優れた記憶力の持ち主となった。グライダーさんはこの能力から大きく受益したという。「子供のときの、困難を克服するという経験のおかげで、成人後にやりたいことに集中できるという能力を持つようになった。何かをやり遂げようとするとき、困難という文字は頭の片隅にもなく、ひたすらその道を走り続けていく。障害を持つ経験は私を成功へ導いた。学者になってからも、いつも様々な難題とぶつかるが、くじけることなく、まっしぐらに前進してきた」
・下村元文科大臣の御子息は学習障害であったがイギリス留学して大成功されています。
・発達障害の子を東大に入れた母の話。
・学習障害の慶応大学生の話。
・学習障害で早稲田大学に入学した話。
・学習障害で医師になった話。
.書道家の武田双雲氏は発達障害で東京理科大学に入学。
・中学不登校から東大理一
・不登校から東大文一
・貧困家庭の不登校児が麻布→東大、MIT