『日本人の歴史』「・・廃仏毀釈は明治政府の犯した最大の罪悪であって日本社会における人心の頽廃、道義心の欠如はここに淵源を発している。仏教と絶縁した神道は原始信仰に戻らざるを得ないが、ドクトリンを持たない原始信仰は民俗学の対象とはなっても文明人の信仰とはなりえない。故に神仏の分離即ち信仰の喪失となって日本人はその人格の骨格を失い、道義心の基盤をなくしてしまった。明治政府をして神仏分離を行わしめた者は、平田神道派の人々である。平田篤胤は儒佛道は勿論、基督教まで研究した精力的な学者であるが、愛憎の強い、駆け引きの上手な大山師であって、変説・剽窃を平気で行った。かれは白川家の勢力を藉って自己の勢力を神官の仲間に扶植するためにその学説を変え、自己の博識を衒うために伴信友の研究を剽窃した。さうして彼の剽窃に抗議した信友を人間の皮を被った畜生とののしっている。彼の養子鐵胤は彼に輪をかけたやうな狂信者で、地球は回転しても神国日本は不動であると頑張った。維新の際に暗躍した尊攘志士の中には、平田神道を奉ずるものが多かったので、維新以後かれらの鼻息は頗る荒く、政府部内においても強い発言権を持つた。慶応四年三月、佛教を極端に排斥するこれら狂信者は政府に迫って神仏分離の令を発せしめ、僧侶の神事にあずかるものは悉く還俗せしめ、権現社・神宮寺は社寺いずれかに分かち、社殿の鰐口・独鈷・梵鐘・仏殿の神像はいずれも撤去せしめ、日蓮宗の寺院においては三十番神をまつることを禁止した。・・奈良の興福寺においては大乗院・一乗院の僧侶は神仏分離令の発令と共に復飾して春日社に奉仕せしめられたたため興福寺は一時無住となり、什宝は四散し、五重塔は二百五十円の低価で売却せられた。祖父の語ったところによると同寺の什宝であった奈良時代の紺地金泥の写経を買い受けた人は金粉を得る為に今日ならば一寸万金に値する経巻を大釜の中に投げ込んでグラグラ煮たといふ。・・この暴挙によって滅んだ日本の古美術は今次の戦災によって滅んだ古美術よりも遥かに多かったのである。しかし古美術よりも惜しまるるべきものは、道昭・行基以来、幾多の高僧名知識の努力によって築き上げられてきた習合仏教の信仰が滅んだことである。・・徳川時代の空気を吸った人と現在の人との違ふ点は、勿体ないとか、冥加につきるとか、殺生だとかといふ言葉の意味が体得できているかどうかといふことである。・・かふいう言葉の意味がよくわかっている兵隊なら外地で戦っても残虐行為で軍事裁判にかけられることはまずあるまいと思われる。しかしいくら力んでみても一度失われた信仰は再びかえってこない。・・・」
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