機械というのは目的のある働きをする複雑な機構の塊である。地球上最初に現れた機械が「自己複製子=原始生命」である。この機械の目的は「自己」を作り出すこと。簡単に言えば自分自身を作り出すことが自己目的化された機械である。ただしこの生命機械は全て分子で組み立てられている。この最初の自己複製子はどのくらいの複雑さを持ち合わせていただろうか。我々が手にする日常的機械との比較でいえばラジオぐらいだろうか、テレビぐらいだろうか。
私の感覚では小型ラジカセぐらいの複雑さと考えている。「生命の誕生」はだからこの程度の複雑さを持って分子レベル機械が地球上に突然出現したことと等価である。原始地球では生物の原料となるアミノ酸や核酸は豊富にあったが、これらが組み合わさり偶然複雑なものができる確率は限りなく0に近い。良く簡単なものから複雑化していけば生命の誕生は不可能ではないと考えるが、ここに進化と変化の違いの混同がみられる。複雑化というのは「自己情報」が受けつがれる自己複製過程にしか存在しない。すなわち何か同一の「自己」と呼ばれる事柄が次々と継承されない限り進化はないのである。アミノ酸や核酸に「自己」はなく物質的同一性のみがある。これが自己でないのはアミノ酸は化学変化により単純なものからある確率を持って作られるが、アミノ酸自体は自己複製過程を経て同一アミノ酸を作らないからである。
しかし地球上最初の自己複製機械(自己複製子)は物理化学的変化でしか作りようがない。ではその誕生確率はどのぐらいのものか。
自己複製機械に必要な複雑さをコンピュータの父フォン・ノイマンは情報量単位ビットを用いて約500ビットと見積もった。この程度の情報量のものが偶然生まれる確率は2の500乗分の1(10の150乗分の1)である。宇宙の全寿命の内に物質変化起こす事象を数えると約10の130乗ぐらい。すなわち現宇宙の全寿命の間に1回生命が誕生する確率は10の20乗分の1である。すなわちこの宇宙が生死を100億の100億倍繰り返してやっと1回程度生命の誕生があった。従って現宇宙に生物がいるのは地球のみということになる。全くの奇跡である。
生命の誕生に比べれば人間の誕生など大した問題ではない。また一度生命が誕生すると自己を増殖させることのみが目的なので、それを絶減させることはほぼ不可能となる。かつて地球は生命誕生後も何度も大きな大災害を経ている、たとえば小惑星衝突による恐竜絶滅など良く知られている。しかしもっとすさまじい大災害、全球火の海(表面平均温度1000℃)や全球凍結(表面平均温度-20℃)がかつてあったと信じられている。しかし生物はどこかで生き延びた。そして必ず次の進化の道をたどった。我々はそうした進化の末端に位置している。
先の矛盾論③でこの進化を含めた生物的自然をも無矛盾世界と述べた。では人間世界の矛盾はどこから生まれるのか。次回この点を掘り下げてみたい。
(永山國昭 Kuniaki Nagayama, PhD
岡崎統合バイオサイエンスセンター・教授
Director & Professor of Okazaki Institute for Integrative Bioscience
自然科学研究機構 National Institutes of Natural Sciences (NINS)
生理学研究所・教授 National Institute for Physiological Sciences, Professor
(併)総合研究大学院大学 The Graduate University for Advanced Studies
生理科学専攻・教授 School of Life Science, Professor
国際純粋応用生物物理学連合(IUPAB)会長(http://www.iupab.org/))
私の感覚では小型ラジカセぐらいの複雑さと考えている。「生命の誕生」はだからこの程度の複雑さを持って分子レベル機械が地球上に突然出現したことと等価である。原始地球では生物の原料となるアミノ酸や核酸は豊富にあったが、これらが組み合わさり偶然複雑なものができる確率は限りなく0に近い。良く簡単なものから複雑化していけば生命の誕生は不可能ではないと考えるが、ここに進化と変化の違いの混同がみられる。複雑化というのは「自己情報」が受けつがれる自己複製過程にしか存在しない。すなわち何か同一の「自己」と呼ばれる事柄が次々と継承されない限り進化はないのである。アミノ酸や核酸に「自己」はなく物質的同一性のみがある。これが自己でないのはアミノ酸は化学変化により単純なものからある確率を持って作られるが、アミノ酸自体は自己複製過程を経て同一アミノ酸を作らないからである。
しかし地球上最初の自己複製機械(自己複製子)は物理化学的変化でしか作りようがない。ではその誕生確率はどのぐらいのものか。
自己複製機械に必要な複雑さをコンピュータの父フォン・ノイマンは情報量単位ビットを用いて約500ビットと見積もった。この程度の情報量のものが偶然生まれる確率は2の500乗分の1(10の150乗分の1)である。宇宙の全寿命の内に物質変化起こす事象を数えると約10の130乗ぐらい。すなわち現宇宙の全寿命の間に1回生命が誕生する確率は10の20乗分の1である。すなわちこの宇宙が生死を100億の100億倍繰り返してやっと1回程度生命の誕生があった。従って現宇宙に生物がいるのは地球のみということになる。全くの奇跡である。
生命の誕生に比べれば人間の誕生など大した問題ではない。また一度生命が誕生すると自己を増殖させることのみが目的なので、それを絶減させることはほぼ不可能となる。かつて地球は生命誕生後も何度も大きな大災害を経ている、たとえば小惑星衝突による恐竜絶滅など良く知られている。しかしもっとすさまじい大災害、全球火の海(表面平均温度1000℃)や全球凍結(表面平均温度-20℃)がかつてあったと信じられている。しかし生物はどこかで生き延びた。そして必ず次の進化の道をたどった。我々はそうした進化の末端に位置している。
先の矛盾論③でこの進化を含めた生物的自然をも無矛盾世界と述べた。では人間世界の矛盾はどこから生まれるのか。次回この点を掘り下げてみたい。
(永山國昭 Kuniaki Nagayama, PhD
岡崎統合バイオサイエンスセンター・教授
Director & Professor of Okazaki Institute for Integrative Bioscience
自然科学研究機構 National Institutes of Natural Sciences (NINS)
生理学研究所・教授 National Institute for Physiological Sciences, Professor
(併)総合研究大学院大学 The Graduate University for Advanced Studies
生理科学専攻・教授 School of Life Science, Professor
国際純粋応用生物物理学連合(IUPAB)会長(http://www.iupab.org/))