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史料綜覧巻七 / 応永三十三年(1426)十一月一日条
「一日(中略)幕府 摂津多田院ノ鳴動(注)ニ依リテ 諸寺ヲシテ之ヲ祈ラシム」
称光天皇、室町幕府は足利義量。この頃特に災害等の異常は記録なし。
(注)多田院のホームページによると、「主祭神源満仲公、天禄元年(970)当時、攝津守であった公が一の宮住吉明神(現在の住吉大社)に参籠、御神託を蒙り此の地を開拓、源氏の居城となし円融天皇より此の城をもって禁裏守護職武門の棟梁万代の居城たるべしとの勅諚を賜ったとある。源満仲公75歳の御時仏門に入り一寺を創設して公24歳の自影を安置して国家守護武運長久の霊場となして、多田院と号した。満仲公廟所はしきりに鳴動して、時変の急を天下に予告したという。多田院の鳴動は同縁起によると、すでに頼朝のころに端を発し室町時代において、応永22年・同34年・寛正5年・文明4年・同14年・長享元年・延徳3年・永正4年の各年代にわたっている。」