8番の仁王門は今の寺から相当下に建っておりここを潜って9番へ向かう道も風情があります。最初の時はここで写真を撮りましたがどこかへいってしまいました。
9番は法輪寺です。
法輪寺は田園の中にぽつんと建っています。2回目の時は丁度田植えの時期で周りは一面の水田です。法輪寺の伽藍が田の水面に映っていました。昔田舎で自分も毎年田植えをしたことを思い出しました。ここも16世紀に長曽我部元親の兵火にあい、広壮な寺域は焼失し、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したとされます。その後、安政六年に再度火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれています。四国遍路日記にも「本尊三如来、堂塔退転して小さき草堂のみあり」としています。17世紀にもお堂のみだったのです。ご本尊も三如来つまり釈迦、阿弥陀、薬師様だったというのですが今はお釈迦様のみです。このご本尊釈迦如来涅槃像は頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られたお姿です。釈迦如来涅槃像がご本尊の札所は四国八十八所では此処だけです。
本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額があるらしいのですがわたしは26年現在まだ確認できずにいます。今度は確認しようと思っています。
1度目の17年には、境内で地元のおじいさんに「御住職」と呼び止められ「いまは秋祭りだからはやく宿をとったほうがいい」とか、「11番のご本尊は本堂にはおられないで後ろの宝物殿に隠してある」とか教えられました。山門には露店がいつもでています。ここで買ったサツマイモのおいしさはいまも覚えています。門の先には足がマメだらけで帰り支度をしている若者もいました。1週間目くらいで足を痛める人もおおいのです。テープをあげました。話しぶりから、自分自身に腹を立てているようで投げやりな気持ちになっているようにも思えました。その後どうしたでしょうか。
9番は法輪寺です。
法輪寺は田園の中にぽつんと建っています。2回目の時は丁度田植えの時期で周りは一面の水田です。法輪寺の伽藍が田の水面に映っていました。昔田舎で自分も毎年田植えをしたことを思い出しました。ここも16世紀に長曽我部元親の兵火にあい、広壮な寺域は焼失し、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したとされます。その後、安政六年に再度火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれています。四国遍路日記にも「本尊三如来、堂塔退転して小さき草堂のみあり」としています。17世紀にもお堂のみだったのです。ご本尊も三如来つまり釈迦、阿弥陀、薬師様だったというのですが今はお釈迦様のみです。このご本尊釈迦如来涅槃像は頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られたお姿です。釈迦如来涅槃像がご本尊の札所は四国八十八所では此処だけです。
本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額があるらしいのですがわたしは26年現在まだ確認できずにいます。今度は確認しようと思っています。
1度目の17年には、境内で地元のおじいさんに「御住職」と呼び止められ「いまは秋祭りだからはやく宿をとったほうがいい」とか、「11番のご本尊は本堂にはおられないで後ろの宝物殿に隠してある」とか教えられました。山門には露店がいつもでています。ここで買ったサツマイモのおいしさはいまも覚えています。門の先には足がマメだらけで帰り支度をしている若者もいました。1週間目くらいで足を痛める人もおおいのです。テープをあげました。話しぶりから、自分自身に腹を立てているようで投げやりな気持ちになっているようにも思えました。その後どうしたでしょうか。