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三代実録 / 貞観十一年(869)十二月五日戊子条
「五日戊子 (中略) 是より先 大宰府言上するに 往者新羅海賊侵掠之日 統領選士等を差し遣はし 追討せしめんと擬す 人皆懦弱にして 憚りて肯て行かず 是において俘囚を調発し 御(ふせぐ)に胆略を以てす 特に意気張る 一は千にあたる 今、大鳥其の怪異を示し 亀筮兵寇を以て告ぐ (後略)」
天皇は清和天皇。
貞観十一年(869年)六月には新羅の博多への入寇(貞観の入寇)が起こっています。
(五日、大宰府が言上するには、以前、新羅海賊が侵掠した日(6月の貞観の入寇)、統領選士等(選士とは陸奥蝦夷の夷俘)を差し遣わし、追討させようとした。人は皆気が弱く、憚ってすすんで行こうとはしなかった。そこで、俘囚を調発し、防ぐのに胆略(大胆で策略に富むこと)をもってした。特に意気を張り、一が千にあたった。今、大鳥がその怪異を示し、亀筮が告げるのは兵寇(外国の侵略)である。)