今日は疫病により四大寺に祈祷をさせた日
1、続史愚抄 / 長享二年1488七月廿四日丙戌条
「廿四日丙戌 被仰疫病御祈於四箇大寺 〈東大 興福 延暦 園城 〉」
2、災害史に
「当時甲斐国(山梨県)を中心に記録を残した「妙法寺記」によると、1486年(文明18年)“此の年、疫病流行、千死一生なり”。翌87年(長享元年)“此の年、疫病にて人多く死ぬること大半にすぎたり”。またその翌88年(同2年)も“7月、8月、疫病。人多く死す”とあり、翌89年(延徳元年)には“此の年も疫病流行して人民死す”と記したが、悪いことに翌90年(同2年)には“此の年多く日照り、後には大風、又大雨降りて、作毛皆実なし、大飢饉申すばかりなし”と疫病ばかりでなく、飢饉にもなってしまったと記録している。」とあります。
3、さらにこの疫病は7年間続き、ついに蓮如上人は「疫癘の御文」(延徳四年1492六月)で、疫病に罹るのは定業であるから「南無阿弥陀仏」と唱えよ、と説法されています。
「疫癘の御文」「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳四年六月 日」
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