資料として、熊楠の「棄老伝説について」、雑宝蔵経、大和物語の姨捨の説話、を載せます。何れも老人を邪魔として捨てるが後で後悔してまた連れ戻すという筋書きです。これ等の筋書きは今後の日本の行く末を暗示しています。今の日本はこれらの筋書きで行くとまだ途中の「これから老人を棄てるようにしよう」というところに差し掛かったばかりです。今後実際に「棄老」を幅広く日本国中で実践するようになって暫く後にまた徐々に老人を大切にする社会に戻るのかもしれません。。なかなか示唆に富む説ばかりです。しかし老人自身も自分で自分の始末を考えるべき時代ではあります。
1、棄老傳説に就て(南方熊楠
誰も知つた信州姨捨山をばすてやまの話の外に伊豆にも棄老傳説があると云ふのは(郷土研究三の二四三)棄てられた老人には氣の毒だが、史乘に見えぬ古俗を研究する人々には有益だ。一九〇八年板の「歴史としての民俗學」第一章などを見ると、今日開明に誇る歐羅巴人の多くの祖先も都々逸どゞいつ御順ごじゆんで、老は棄てられ壯きは殘る風俗で澄スマして居たらしい。吾邦固より無類の神國で、上代の民純朴だつたは知れ切つた事ながら、時世と範圍相應に今日から見ると、奇怪な習慣も隨分行はれたは大化の初年迄人死する時、人を絞して殉ぜしめ、信濃國で夫死すれば妻を殉ぜしめたなどで訣る。されば地方によつて老人を棄て風も有つたのだらう。昨年押上中將から惠贈せられた高原タカハラ舊事に、「飛騨の吉野村の下に人落しと云ふ所あり。昔は六十二歳に限り此所へ棄てしと云ふ」とある。さて親を棄てに行つた子が、自分も其齡になれば棄てられると考へ付いての發意で、此事が止んだと云ふのは、漢の皇甫謐の孝子傳・萬葉集・今昔物語・ぐりんむの獨逸童話其他に多く見えて、歐亞諸邦に瀰漫した譚である。
(南方熊楠)
2、仏教伝道協会の(雑宝蔵経)『和英対照仏教聖典』より
「遠い昔、棄老国(きろうこく)と名づける、老人を棄てる国があった。その国の人びとは、だれしも老人になると、遠い野山に棄てられるのがおきてであった。
その国の王に仕える大臣は、いかにおきてとはいえ、年老いた父を棄てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作り、そこに隠して孝養を尽くしていた。
ところがここに一大事が起きた。それは神が現われて、王に向かって恐ろしい難問を投げつけたのである。
「ここに二匹の蛇がいる。この蛇の雄・雌を見分ければよし、もしできないならば、この国を滅ぼしてしまう。」と。
王はもとより、宮殿にいるだれひとりとして蛇の雄・雌を見分けられる者はいなかった。王はついに国中に布告して、見分け方を知っている者には、厚く賞を与えるであろうと告げさせた。
かの大臣は家に帰り、ひそかに父に尋ねると、父はこう言った。
「それは易しいことだ。柔らかい敷物の上に、その二匹の蛇を置くがよい。そのとき、騒がしく動くのは雄であり、動かないのが雌である。」
大臣は父の教えのとおり王に語り、それによって蛇の雄・雌を知ることができた。
それから神は、次々にむずかしい問題を出した。王も家臣たちも、答えることができなかったが、大臣はひそかにその問題を父に尋ね、常に解くことができた。
その問いと答えとは次のようなものであった。
「眠っているものに対しては覚めているといわれ、覚めているものに対しては眠っているといわれるのはだれであるか。」
「それは、いま道を修行している人のことである。道を知らない、眠っている人に対しては、その人は覚めているといわれる。すでに道をさとった、覚めている人に対しては、その人は眠っているといわれる。」
「大きな象の重さはどうして量るか。」
「象を舟に乗せ、舟が水中にどれだけ沈んだか印をしておく。次に象を降ろして、同じ深さになるまで石を載せその石の重さを量ればよい。」
「一すくいの水が大海の水より多いというのは、どんなことか。」
「清らかな心で一すくいの水を汲んで、父母や病人に施せば、その功徳は永久に消えない。大海の水は多いといっても、ついに尽きるときがある。これをいうのである。」
次に神は、骨と皮ばかりにやせた、飢えた人を出して、その人にこう言わせた。「世の中に、わたしよりもっと飢えに苦しんでいるものがあるであろうか。」
「ある。世にもし、心がかたくなで貧しく仏法僧の三宝を信ぜず、父母や師匠に供養をしないならば、その人の心は飢えきっているだけでなく、その報いとして、後の世には餓鬼道に落ち、長い間飢えに苦しまなければならない。」
「ここに真四角な栴檀の板がある。この板はどちらが根の方であったか。」
「水に浮かべてみると、根の方がいくらか深く沈む。それによって根の方を知ることができる。」
「ここに同じ姿・形の母子の馬がいる。どうしてその母子を見分けるか。」
「草を与えると、母馬は、必ず子馬の方へ草を押しつけ与えるから、直ちに見分けることができる。」
これらの難問に対する答えはことごとく神を喜ばせ、また王をも喜ばせた。そして王は、この智慧が、ひそかに穴蔵にかくまっていた大臣の老いた父から出たものであることを知り、それより、老人を棄てるおきてをやめて、年老いた人に孝養を尽くすようにと命ずるに至った。
(雑宝蔵経)
『和英対照仏教聖典』
3、大和物語の姨捨の説話です。
「・・信濃の國に更級といふところに、男すみけり。わかき時に親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひそひてあるに、この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかゞまりてゐたるをつねににくみつゝ、男にもこのをばのみ心さがなく悪しきことをいひきかせければ、昔のごとくにもあらず、疎なること多く、このをばのためになりゆきけり。このをばいとたう老いて、二重にてゐたり。これをなをこの嫁ところせがりて、今まで死なぬこととおもひて、よからぬことをいひつゝ、「もていまして、深き山にすてたうびてよ」とのみせめければ、せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ。月のいと明き夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊き業する、見せたてまつらむ」といひければ、かぎりなくよろこびて負はれにけり。高き山の麓に住みければ、その山にはるばるといりて、たかきやまの峯の、下り來べくもあらぬに置きて逃げてきぬ。「やや」といへど、いらへもせでにげて、家にきておもひをるに、いひ腹立てけるおりは、腹立ちてかくしつれど、としごろおやの如養ひつゝあひ添ひにければ、いとかなしくおぼえけり。この山の上より、月もいとかぎりなく明くていでたるをながめて、夜一夜ねられず、かなしくおぼえければかくよみたりける、
わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月をみて
とよみて、又いきて迎へもて來にける、それより後なむ、姨捨山といひける。慰めがたしとはこれがよしになむありける。(大和物語第156段)」
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