福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は御黒戸を初めて作られた光孝天皇崩御の日。

2023-08-26 | 法話

今日は歴代天皇の持仏堂である御黒戸を初めて設けられた光孝天皇崩御の日。

光孝天皇は仁和三年八月二十六日五十八歳で崩御されています(国史大辞典)。

仁和寺では毎年九月八日開山忌法要では宇多天皇とその父君の光孝天皇(仁和寺開山計画を作られた)

を供養しているようです。元慶八年884にはじめて宮中に御黒戸を設置されたと大鏡(後出)にあります。

『日本三代実録』に「天皇少く(わかく)して聡明、好みて経史を読む。容止閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠、九族を親愛す。性、風流多く、尤も人事に長ず」と。

「大鏡」光孝天皇

「次の帝、光孝天皇と申しき。仁明天皇の第三皇子なり。御母、贈皇太后宮藤原沢子(たくし)、贈太政大臣総継の御娘なり。この帝、淳和天皇の御時の天長七年庚戌、東五条家にて生まれ給ふ。御親の深草の帝の御時の承和三年丙辰正月七日、四品し給ふ。御年七つ。嘉祥三年正月、中務卿になり給ふ。御年二十一。仁寿元年十一月二十一日、三品に上り給ふ。御年二十二。貞観六年正月十六日、上野太守かけさせ給ふ。御年三十五。同じき八年正月十三日、大宰権師に移りならせ給ふ。同じき十二年二月七日、二品に上らせ給ふ。御年四十。同じき十八年二月二十六日、式部卿にならせ給ふ。御年四十六。元慶六年正月七日、一品に上らせ給ふ。御年五十三。同じき八年884に大宰帥かけたまひて、二月四日、位に就き給ふ。御年五十五。世を知らせ給ふこと四年。小松の帝と申す。この御時に、藤壺(中宮や女御の住まい)の上の御局の黒戸は開きたると聞き侍るは、まことにや。」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 坂東観音霊場記(亮盛)・・... | トップ | 今日は奥院に仏舎利が納めら... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事