福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その52

2018-04-21 | 諸経
五根の荘厳のゆえに深く信じて堅固に精進して懈らず、常に迷妄なく寂然調順にして諸の煩悩を断ず。
五根とは信進念定慧の善根のこと。今この五つを善とのみいわずして根というはわけのあることで、世間の慈善事業、布施などは善ということができるけれども根ということは出来ぬ。何となれば今善根というは前に述べた四正勤(断断 - 既に生じた悪を除くように勤める。律儀断 - まだ生じない悪を起こさないように勤める。随護断 - まだ生じない善を起こすように勤める。修断 - 既に生じた善を大きくするように勤める)と四神足 (欲如意足 、 精進如意足 、心如意足 、思惟如意足)とにて、定と慧とが平均して人の両足を具足する如しじゃというたがその両足で勤めて修行したから心が微細になり、智慧が鋭くなって心が動かない。その動かないうえでの善であるから善根というたのである。たとえば木に根が張った如く決して動かない。木というものは根が多く張れば張るほど枝葉が多くなるというが、今もその如く心が静かになればなるほど智慧が明瞭になってくる。その功徳の上になす善だから根の字をくわえたのである。世間では善悪の標準が分からぬというが仏法ではよくわかる。定慧均等の上に為すこの「信」「進」「念」「定」「慧」の五根が善である。「信」とは正直な心をもって真理を信ずるを信という。その信ずる力が深く真理の底へ徹して動かぬから信根という。「進」とは精進のこと。「念」というは仏法の正道及び助道の法を求めて更に他事を思わぬが念根である。「定」というは心を一に摂して静かなることこれを定根という。「慧」とは真理に契証せんために無常、苦空、無我等の十六観想を凝らす、これが慧根である。この五根のなかでも信じて疑わぬところの信根が一番大事じゃ。「智度論」には「仏法の大海は信をもって能入とし、智を以て能度とす」とあって信が一番の善根、この善根があってもダラダラと怠けてはならぬから勉強する、それが精進根、この精進があっても一心に余念なく信ぜねばならぬから次に念根がおいてある。さらにその上に気が散ってはならぬから定というて一心に仏法の真理を思うて他のことを思わぬようにするが定根、それから慧根は真理にむかって苦、空、無我、無常の観想を凝らすことだからこれを最後においてある。
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