福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

日本人の宗教観念では、すべての病気や不幸や禍は・・・

2020-03-16 | 先祖供養

日本人の宗教観念では、すべての病気や不幸や禍は、罪と穢れの結果おこるものだとした。現代のように、すべての禍を社会のせいにしたり、政治のせいにしたりしないで、自分の行為や先祖の行為として反省し、懺悔した。・・春の法華会も秋の法華会もともに死者の霊の滅罪を目的とするものであった。これはなぜかといふに、死者の霊がもし鎮まらなければ疫癘がおこると信じられていたからである。」(五來重「宗教歳時記」)

五來重「宗教歳時記」
「日本人の宗教観念では、すべての病気や不幸や禍は、罪と穢れの結果おこるものだとした。現代のように、すべての禍を社会のせいにしたり、政治のせいにしたりしないで、自分の行為や先祖の行為として反省し、懺悔したのである。その懺悔の方法は、密教の忿怒形の怒りの仏の前で懺悔の「額突き」をしたり法華経の懺悔の力に頼ったりした。あるいは「罪ほろぼし」のために橋を架けたり、道路を造ったりする社会奉仕に参加した。
ところで法華経を講じて死者の罪を滅ぼすのを法華八講といふが、・・法華八講は延暦十五年796に奈良地獄谷の石淵寺で、大安寺の勤操が栄好の母の為に修したのが始まりとされる。・・東大寺の法華講讃はそれ以前のもので法華会と呼ばれた。‥東大寺要録に「三月十六日法華会、天平十八年二月十八日、良弁僧正、公家に奏聞し諸寺相共に羂索院において之を修す。・・」とあるからこのころ法華会と呼ばれたことがわかる。・・また「法華会縁起」には「即ち去る天平十八年春三月十六日を以て公家に奏聞して,始めて件の会を修す。それより以降、毎年の間、諸寺の高徳を請ひ、妙法玄宗の講演す。・・しかるに本願上綱(良弁)の御意を伝へ聞けば、紅桜開敷の春は妙法蓮華を講じて、種智の果を期し、黄葉飛散の秋は、無辺仏土を示して,常楽の道を訪ふ。」といっているが、春の法華会も秋の法華会もともに死者の霊の滅罪を目的とするものであった。これはなぜかといふに、死者の霊がもし鎮まらなければ疫癘がおこると信じられていたからである。このような霊は疫神とも御霊とも呼ばれて、これを鎮めるための祭りが、春は鎮花祭として、夏は道饗祭としておこなわれていたが、これが仏教化して春は法華会、夏は御霊会となったのである。」
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