福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その26

2014-05-26 | 四国八十八所の霊験
 18番恩山寺は眉山を右手に見ながら勝浦川を渡って小松島市へ入り中田駅から四㌔ほどの小高い山の中腹にあります。参道を登りつめると大師堂があり、本堂へはさらに石段を登ることになります。
17年の遍路ではここはすばらしい秋晴れでした。縁起によると、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が厄除けのために薬師如来を刻み、本尊として開基、大日山密厳寺と号し、女人禁制としていましたが、創建後百年を経て、弘法大師がこの寺へこられました。そのとき母君の玉依御前が大師を慕っておいでになったが、女人禁制のため登ることができなかったため大師は仁王門の近くで秘法を修して女人開禁の祈念を成就され、母君を伴なって登山、日夜孝養をつくされ、大師は寺号を母養山恩山寺と改めたとされます。 御詠歌は「こをうめる そのちちははの おんざんじ とぶらいがたき ことはあらじな」です。

 「法性法親王四国霊場御巡行記」には「徳島の城の畔に数々の霊場なども多けれど、筆に誌すに暇なし、此の地の名物最多し、中に名高き大河を四国の三郎と(吉野川)世に唱ふ。この身を生める父母の恵みも深き恩山寺、一苦労の竹ノ下、弘法大師誕生の襁褓納めし所とや」と在ります。御大師様の襁褓を埋めているというのです。遍路地図ではちかくに釈迦庵襁褓塚というのがありますがここの事と思われます。しかし私は26年現在まだお参りできていません。

澄禅『四国遍路日記』には「恩山寺、大道より右の谷へ入る事五町ばかりにして二王門あり。夫れより二町ばかり行きて寺在り。寺より右坂を一町ばかり上りて本堂に至る。本堂南向き、本尊薬師如来。右の方に御影堂在り。其の傍ら五輪の石塔の苔むしたる在り。此れは大師の御母儀の御石塔也。地景殊勝なる霊地也。寺は真言宗也。坊主は留守也。寺より辰巳の方へ十町ばかり往きて民屋に一宿す。廿九日宿を出で、猶ほ辰巳の方へ行きて立江の地蔵寺に至る。是れ迄一里也。」とありました。
 
 17年では石段を本堂に向かって登る途中、蘇鉄の葉に頭をなぜられました。そして自分で勝手に小躍りしてしまいました。それは法華経嘱累品にいう「摩頂」に似ていると思ってしまったからです。梁塵秘抄には法華経嘱累品を引用して「一乗付属の儀式こそあはれに尊きものなれ、釈迦牟尼仏は座より下り菩薩の頂なぜたまふ」といい、江戸時代の真言宗の高僧慈雲尊者は「(摩頂は)罪障消滅のしるし」といわれました。
まことに今から思うと勝手極まる思い込みですが遍路道には本気でそう思わせてしまうなにか霊妙な雰囲気があるのです。
ここの納経所のご婦人方はいつもなにか暖かい雰囲気で遍路に接してくれます。20年に回ったときもここのご朱印の一部が漏れていたといって押しなおしてくれたこともありました。1番から歩いてくるとここらあたりで5日目となり相当疲れており、井戸寺近辺に泊まって次の日大体ここでお昼休みにすることが多いのです。25年には数人でタクシーで回ったのでここのことはほとんど覚えていません。やはり歩かなければ思い出はできません。


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