福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論・・その54

2023-09-23 | 諸経


故已に修行信心分説おいた、次に勸修利益分を説かんとするのである。
如是の摩訶衍(大乗)は諸佛祕藏の教えであり、已に總説した。若し衆生が、如來甚深の境涯に入り、正信を起こして誹謗せずして大乘道に入らんと望めば、當に此の大乗起信論を持して思い修習すべきである。そうすれば最終的には能く無上の道に至ることができるであろう。若し人が、是法(大乗起信論)を聞き終わって怯む心起こさなければ、當に知るべきである、此人は必ず佛種をつぎ、必ず諸佛から覚りに至ることを保証されるであろう。たとえ、人が能く三千大千世界中の衆生に十善を行ぜしめたとしても、一食する短い間に此法(大乗起信論)を正しく思う人の功徳にはかなわない。復た次に若し人、此大乗起信論を受持して觀察修行すること、若し一日一夜だけであったとしてもその功徳は無量無邊で説きつくせないほどである。仮令、十方の一切諸佛が、各々無量無邊阿僧祇劫に於いて、其功徳を歎じても亦た盡すことはできない。なぜか。法性の功徳は盡きることあることないから、それに随う此の人の功徳も亦た無有邊際であるからである。逆に、大乗起信論をお毀謗不信なれば、得るところの罪報は無量劫を經て大苦惱を受けることになる。是の故に衆生は但だ應に仰いで大乗起信論を信ずべきであり、應に誹謗してはならない。なぜなら、誹謗すれば深く自らを害し、亦た他人をも害して一切三寶の種を斷絶することになるからである。一切如來は皆な此の大乗起信論によりて涅槃を得たるを以ての故に、一切菩薩も之に因りて修行して佛智に入った故である。當に知るべきである、過去の菩薩も已に此教えに依るが故に淨信を成ずることを得、現在の菩薩も今、此の教えによりて淨信を成ずることを得、未來の菩薩も當さに此教えに依りて淨信を成ずることを得るであろう。是故に衆生は應に勤めてこの大乗起信論を修學すべきである。
諸佛の甚深廣大の義を 我れ今ま分に隨ってすべてて説きおわった
願わくは此の功徳如法性を回向して 普く一切衆生界を利せんことを。
大乘起信論終

(故已に修行信心分説く次に勸修利益分を説かん。
如是の摩訶衍は諸佛祕藏にして我已に總説す。若し衆生ありて、如來甚深の境界において正信を生じ得て誹謗を遠離して大乘道に入らんと欲せば、當に此の論を持して思量修習すべし、究竟して能く無上の道に至らん。若し人、是法を聞き、已って怯弱を生ぜずんば、當に知るべし、此人は定んで佛種をつぎ、必ず諸佛のために授記するところとならん。仮令人ありて能く三千大千世界滿中の衆生を化して十善を行ぜしめんとも、如かず人有て一食の頃において此法を正思せんには、前の功徳にすぐること喩をなすべからず。復た次に若し人、此論を受持して觀察修行すること、若し一日一夜ならんも所有の功徳は無量無邊にして説くことを得べからず。假令え、十方の一切諸佛、各無量無邊阿僧祇劫に於いて、其功徳を歎ずとも亦た盡すこと能わず。何以故。謂く法性の功徳は盡くることあることなき故に。此の人の功徳も亦た、復た是の如く、無有邊際なり。其れ衆生有りて、此論中において毀謗不信なれば、所獲の罪報は無量劫を經て大苦惱を受けん。是の故に衆生は但だ應に仰いで信ずべく、應に誹謗すべからず。深く自ら害し、亦た他人を害して一切三寶之種を斷絶するを以てなり。一切如來は皆な此の法によりて涅槃を得たるを以ての故に、一切菩薩も之に因りて修行して佛智に入るが故なり。當に知るべし、過去の菩薩も已に此法に依るが故に淨信を成ずることを得、現在の菩薩も今、此の法によりて淨信を成ずることを得、未來の菩薩も當さに此法に依りて淨信を成ずることを得べし。是故に衆生應に勤めて修學すべし。
諸佛甚深廣大義を 我れ今ま分に隨って總持して説きたり
此の功徳如法性を迴して 普く一切衆生界を利せん。
大乘起信論終)

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