福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御大師様の先祖供養についてのお考え・・19

2019-06-19 | 先祖供養
御大師様の先祖供養についてのお考え・・19
「僧寿勢(不詳)先師の為に忌日の料物を入るる願文」亡僧であっても供養して覚りへ導いていただくといっておられます。
「弟子苾蒭寿勢、三宝に帰依したてまつる。覚の鉢曇(至極)を名ずけて佛という。衆と達磨とはすなわち人の心なり。臂を断ち、足を接す(頭面接足)。この言幽閑なり(おくゆかしい)。師に非ずんばいかんが証せん。故によく朋を百域に訪うて(善財童子が110余の城を歴訪した)勇鋭の心,弥よ励し、慧を一市に哭して(常諦菩薩が法の為に身を売るべく一市の巷に泣いた)渇法の意、常に新たなり。開喩の功(師が弟子を導く功)、至れるかな。入証の徳(弟子を覚らせる師の働き)いかんが報ぜん。
伏して惟んみれば我が先師大徳几前、これ珠色を分かち、霜鐘声を伝う(珠色がよく色を反映し、豊山の鐘が霜ふる時を察して鳴るように師が弟子をよく察して導く)。物我の諍い(自他の諍)多きを混んじて自他不二を証す。衣は百衲(衲衣)を愛し、日に一食を貴ぶ。中観(中道)心を瑩き、百非心虚に住らず(否定の極致を覚り、虚空のごとき心にも止まっていない)、外書間閲て(仏書以外も見て)八不常に念剣に懸けたり(八不中道をさとり生滅・断常の二辺に偏らない智慧の剣)。三空に三有の雲を蕩かし(空・空々・大空の妙理で欲界・色界・無色界の迷いを消滅する)。一実に一心の雨を灑ぐ(一実中道の妙理を衆生に灑ぐ)、冀う所は我を芥石の劫に導き、我を塵墨の年に喩さんことを。豈に圖りきや、薪無縁に尽き、燈有為に滅えんとは(薪の燃え尽きるように入寂、灯が消えた)。寒暑数変じて提撕耳に在り。星霜已に久しうして慈顔目の前也。几杖塵れ伍佰勝(米二十五斛)を捧げて先師の忌日料に奉入す。伏して願わくはこの良睢縁によって万が一を奉答せん。百億の能仁(百億の変化身の釈迦)は手を乗華の遊に授け(救いの手で蓮華上にのせる)、一大の浄満(一大法身たる大日)は頂を無生の楽しみに摩でたまえ(先師の霊の頂を撫でて覚りにみちびきたまえ)、戯論を空空に滅し、寂静を如如に証せん。北極垂拱して南風慍いかりを解かん。(天下が良く治まり豊作となるので人々は飢餓の怒りを持たない)。関睢()かんしょ・后妃の徳)鵲鳩(しゃくきょう・夫人の徳)虎爪(こそう・武官)力を蕩蕩の化に竭くし(天子の高遠な徳化に力をつくし)、潤を巍魏の風に蒙らん。上有頂天を絡い、下無間を篭めて同じく三障を断じて斉しく一道に入らしめん。」
「百億の能仁は手を乗華の遊びに授け、一大の浄満は頂を無生の楽しみに摩でたまへ(百億に変化したまふ釈迦如来よ、蓮華の台に導きたまへ、一大法身たる大日如来よ、無生法忍の悟りに引き入れて師寿勢の頭を撫で給へ。性霊集巻七、僧寿勢先師忌)」


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