日本語訳文は(株)トラベルサライ、上田恒平訳
ヒンドゥスターン紙パトナ版2008年1月7日発行
「日本人旅行者たちが奉仕活動をした」
ラジギール
仏教の法と尊敬、崇拝の象徴であるラジギール地区の霊鷲山で、日本人旅行者たちが奉仕活動をした。霊鷲山の辺りにはゴミが散乱しているのが見られ、それらをきれいにしようと日本人仏教僧のアサイ氏の呼びかけで、およそ1キロメートルにわたって清掃活動をした。
この機会に日本人旅行者たちは現地の人々に仏教聖地をきれいにするようアピールした。
旅行団は、アサイ・カブチョー、ハルダ・タカユーキ、ゴートー・ジャーコー、ミトゥイ・サダヨー、オーシバ・シンチローなどを含めて構成された。
この奉仕活動に際しては、日本語ガイドのバンシー氏、ホッケホテルのK.C.ジャー氏が手助けをした。
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高野山時報より 平成20年3月1日 (4)
平成二十年一月 霊鷲山清掃顛末記
高野山専修学院講師 浅井證善
インドの霊鷲山(以下霊鷲山と略称)の名称は、山頂の大岩が鷲の形に似ていることと、山全体がやはり鷲の形に似ていることに由来する。山頂の鷲の形の大岩の左側に、今一つ鷲の形の岩があり、それは実に釈尊の説法を聞いている姿という。ラージギル(王舎城)には、かの五山があり、霊山はその中でも尤も聖なる山とされる。即ち、『法華経』とか『観無量寿経』をはじめ釈尊は多くの経を説いている。無論、ここは八大仏跡の一つに挙げられる。
霊山は、その入口から山頂まで徒歩で約二十分かかる。緩やかな稜線の道であり、釈尊当時、ビンビサーラ王が石積みをして道を整えたことから、ビンビサーラの道と名づけられ、その当時の岩膚を確認することができるが、二年程前、インド政府は改めて道を整えている。
ところが昨年三月、高野山大学生を連れて第五回目の仏跡巡拝を行った時、道の両側といい、山頂に存在する香殿(世尊のおられた所)の崖下といい、ゴミが散乱しでいるのが目に映った。香殿を護持している(?)現地の人は線香を売ってはいるか、その滓を崖下に捨てる。もうマンネリ化している状態であった。
そこで私達はその時「ここは貴方個人の場所ではないはずである。世界の仏教徒が参拝に訪れる聖地である。ゴミを片付け給え」と言って、いくらかのお金を渡した。後で我々が考えた結果、「一時的に拾うかも知れないが、また、元の木阿弥であろう」ということで、結局、誰かがゴミ拾いをせねば、山の美化は望めない。即ち誰かとは自分であらねばならない、という結論に達し、「よし来年は、この霊山の清掃に的を絞ろう」と思い立った。幸い私は「大峰山ボランティア・峰の友」の代表をしており、ゴミ収集にかけては自信があった。霊山のゴミは、紙屑、ビニール、ペットボトル、ガラス壜、牛糞、カタ、ルンタ、菓子とかガムの包装紙等である。それ等が入口(門)から山頂にかけて散乱している。
さて、今回の巡拝、清掃につき以下の十二名が集まった。
浅井證善、大柴慎一郎、小野剛賢、歸山快丈、後藤瀞興、高原耕昇、内藤快応、中原慈良、西尾衣代、原田高幸、三井貞夫、柳川瀬政子、加えて日本とインドの案内人である。
日程は、平成二十年一月四日~八日。霊山の存在するラージギルには一月五日に到着。実は五日と六日の二日間、ゴミ収集をする予定であったが、飛行機等の遅れでラージギルに五日の午後四時過ぎに到着。霊山に登れば薄暗くなるということで、その日は参拝を断念。しかし、前もって雇っていた現地人三十名は、五日の一日一杯ゴミ収集をしてくれていた。現地人は五日と六日の二日間で一人三千円で雇った。その中、まとめ役の二人には、各四千五百円である。明日一日かけて霊山の全てのゴミ(目に見える範囲、茂みの中)を収集できるかどうか私は案じたが、出来るだけの事をするしかない。
一月六日、午前四時半起床、五時、霊山に出発。まず世尊香殿にて供養、読経をせねばならない。まだ日の出前であった。供養が済んだのは六時半前、東の空の御来光が美しい。香殿には、我々の団体のみであり、落ちついて読経が出来た。少し遅れると世界の仏教徒が訪れ、押し合い圧し合いになる。下山して朝食後、八時過ぎにまた霊山に戻る。愈々清掃だ。各自日本から持参した清掃道具を持って登る。即ち、熊手、炭バサミ、ビニールの大袋(各二十~五十袋)、手袋、カッターナイフ、ガムテープ、カットバン等であり、箒のみは十本ほど現地調達。
清掃は戒律で説く方法に依った。即ち、山頂(香殿)から入口に向かう。まず全員山頂近くに集まり、人員の確認、現地の人には持参した軍手を配る。軍手を配ると皆喜々としてものすごく嬉しそうである。インドで清掃者はカーストの低い人達と決められており、その中にはアウトカーストの人もいたようである。彼等は手袋などもらったこともないようで、軍手の付け方もまちまちで、インドの案内人が手に着けて見せていた。
既に世界の仏教徒が香殿に溢れていた。チベット、タイ、中国、韓国、ミャンマー、ブータン等の信徒である。全員で香殿の下を百八十度清掃。
諸々のゴミの中、拾ってはならないものとして、人間の髪の毛、新しいカタ及びルンタ及び経文である。しかしながら、どこの聖所でもそうであるが、カタなどは、日毎にどんどん山頂に貯まる。番人はそれらを一時的に香殿の下の崖の1ケ所に安置しておき、誰も待っていかねば、別の岩穴にまとめて入れる。我々の作業人は、その岩穴から次々に力夕を引っ張り出す。その数二百近くあったろうか。まだ岩の下にあるが危険なので断念。
頂上から約五百メートル下の入口まで徐々に降りる。路の両脇の薮の中には棘の木が多く、私の作務服はあちこち名誉の負傷、歸山氏は足に傷。それほど棘の木が多い。一ケ所ひっかかると、体に次々とひっかかってくるのである。日本の山では考えられないことである。
なお霊山には物乞いが多い。道に均等の間隔で坐っている。
清掃に参加した現地の人々
彼(彼女)等の往み家として、橋の下及び樹の石枠の中(動物に樹の皮が食べられない上うにしている) かおり、その上うな所に、ペットボトル、古い雪駄、櫛等が置いてあり、全て物乞いの生活品というので留意する。
中国の尼僧が来ており、我々のゴミ収集を見て二〇〇ルピーの御接待。今一人の尼僧は、ゴミ袋を売ってくれと言う。差し上げても二〇ルピーの御接待。幸い大柴君は中国語に堪能。
参拝道の半ばにさしかかった時、昼食休憩。物乞いにちょいちょいとルビーを渡しながら人口に下りる。
午後一時過ぎ、また霊山に戻る。参詣道の片方は丘であり・、片方は低い谷。その灌木の中には人糞もあり、うっかり踏んでしまう。ともかく、我々も雇用した現地人も、限られた時間(当日の日没近くまで)に迫られて、一生懸命作業する。インドの人々は、どちらかと言えば、のんびり仕事をしている風情かあるので、さほど期待はしていなかったが、よく働くのには嬉しい誤算となった。それもそのはず、前日、雇用を依頼した法華ホテルのマネージャーが、雇用者を霊山に集め「とにかくきれいにしなければ金は払えない」と強調したという。
午後二時半頃、当地の新聞記者が駆けつけて、取材する。極めて珍しい騒ぎという。新聞記者は後にホテルまで押しかけ、改めて取材。即ち、新聞社のエライさんが椅子にどっかと腰を下ろして、色々と通訳を通して私に聞く。彼等の話の中で最も印象を受けたことは「日本という外国からわざわざやって来て、清掃をするとは、我々インド人にとっては恥ずかしい」ということであった。今一つは、ラージギル国際仏教大学を建設する予定があるという。ナーランダにも同様の話かあり、いずれにせよ、結構なことである。
霊山の入口まで下ったのは午後三時。その前に商店が立ち並んでいるが、彼等の出すゴミは近くの国有地に捨てられている。ゴミの下にゴミ、またその下にゴミといった具合である。無論、時間かある以上、続行。ゴミが余りにも多く、拾えども拾えどもさほど変わらぬ様子に、現地の人及び子供達が笑っている。しかし徹底すれば後は時間の問題。四時過ぎまでにはどうにかきれいになった。ゴミといっても骨も混じっており、動物のものか、人骨か分からぬ状態だ。
最後に法華ホテルがチャーターしたゴミ処理の大型トラックがやって来た。運転手とその助手達が作業する人達に大声で怒鳴っている。「早く拾ってしまえ」ということらしい。
そこで最終的には、ゴミ袋は大型トラックに満載となった。昨日収集した燃えるゴミは、現地の作業人があちこちで燃やしているので、合計すれば随分の数量になったと思われる。日本から持参したゴミ収集袋は軍手とともに大きな力を発揮した。
聞くとまだインドにはゴミを処理する政策はないと言う。日本から持参した大きなゴミ袋自体、彼等にとっては珍しいものである。しかしながら、近年の高度成長の煽りで、ビニール、ペットボトルの系統のゴミが増え、その対策に頭を痛めているという。無論、今般のトラックも個人的にホテルが手配したものである。
そういう訳で、今般のゴミ収集は法華ホテルの協力が大きかった。ゴミ収集が終わった時、ゴミ袋満裁車の前で、我々も現地の作業人も皆喜々としてその仕事の充実感を味わった。
ところで三十人の雇用の他に「私も手伝ったので、お礼をもらいたい」という者が私の同行の一人に言う。このようにインドではお金の支払いになると大変で、次々に働いたという者が現れる。従ってその所では決して払わず、後でホテルにて支払うという。その時、その場所で金を渡すと必ず争いになるという。
翌日、仏陀伽耶を参拝。ここは世界遺産になっているので、ゴミを捨てると番人がやってくる。そのあたりの道端の商店も数年内に立ち退きになるという。
昨年は御布施をして成道座の中にて読経したが、今回は中に入ることは無理。その理由として、最近、成道座の土を盗ったり、弱っている菩提樹の皮を剥がした者がいて、中には入れないという。加えて昨日、チベットのある派の大祭が仏陀伽耶で行われ、その余韻で多くのチベット人が押しかけている。大塔の中も押し合い圧し合いの混雑ぶりであった。
今回の霊山のゴミ拾いについては、「長時間この霊山付近に居ただけても有難かった」というのが代表的感想てあろう。
合掌
(奈良市柴屋町 龍象寺)
ヒンドゥスターン紙パトナ版2008年1月7日発行
「日本人旅行者たちが奉仕活動をした」
ラジギール
仏教の法と尊敬、崇拝の象徴であるラジギール地区の霊鷲山で、日本人旅行者たちが奉仕活動をした。霊鷲山の辺りにはゴミが散乱しているのが見られ、それらをきれいにしようと日本人仏教僧のアサイ氏の呼びかけで、およそ1キロメートルにわたって清掃活動をした。
この機会に日本人旅行者たちは現地の人々に仏教聖地をきれいにするようアピールした。
旅行団は、アサイ・カブチョー、ハルダ・タカユーキ、ゴートー・ジャーコー、ミトゥイ・サダヨー、オーシバ・シンチローなどを含めて構成された。
この奉仕活動に際しては、日本語ガイドのバンシー氏、ホッケホテルのK.C.ジャー氏が手助けをした。
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高野山時報より 平成20年3月1日 (4)
平成二十年一月 霊鷲山清掃顛末記
高野山専修学院講師 浅井證善
インドの霊鷲山(以下霊鷲山と略称)の名称は、山頂の大岩が鷲の形に似ていることと、山全体がやはり鷲の形に似ていることに由来する。山頂の鷲の形の大岩の左側に、今一つ鷲の形の岩があり、それは実に釈尊の説法を聞いている姿という。ラージギル(王舎城)には、かの五山があり、霊山はその中でも尤も聖なる山とされる。即ち、『法華経』とか『観無量寿経』をはじめ釈尊は多くの経を説いている。無論、ここは八大仏跡の一つに挙げられる。
霊山は、その入口から山頂まで徒歩で約二十分かかる。緩やかな稜線の道であり、釈尊当時、ビンビサーラ王が石積みをして道を整えたことから、ビンビサーラの道と名づけられ、その当時の岩膚を確認することができるが、二年程前、インド政府は改めて道を整えている。
ところが昨年三月、高野山大学生を連れて第五回目の仏跡巡拝を行った時、道の両側といい、山頂に存在する香殿(世尊のおられた所)の崖下といい、ゴミが散乱しでいるのが目に映った。香殿を護持している(?)現地の人は線香を売ってはいるか、その滓を崖下に捨てる。もうマンネリ化している状態であった。
そこで私達はその時「ここは貴方個人の場所ではないはずである。世界の仏教徒が参拝に訪れる聖地である。ゴミを片付け給え」と言って、いくらかのお金を渡した。後で我々が考えた結果、「一時的に拾うかも知れないが、また、元の木阿弥であろう」ということで、結局、誰かがゴミ拾いをせねば、山の美化は望めない。即ち誰かとは自分であらねばならない、という結論に達し、「よし来年は、この霊山の清掃に的を絞ろう」と思い立った。幸い私は「大峰山ボランティア・峰の友」の代表をしており、ゴミ収集にかけては自信があった。霊山のゴミは、紙屑、ビニール、ペットボトル、ガラス壜、牛糞、カタ、ルンタ、菓子とかガムの包装紙等である。それ等が入口(門)から山頂にかけて散乱している。
さて、今回の巡拝、清掃につき以下の十二名が集まった。
浅井證善、大柴慎一郎、小野剛賢、歸山快丈、後藤瀞興、高原耕昇、内藤快応、中原慈良、西尾衣代、原田高幸、三井貞夫、柳川瀬政子、加えて日本とインドの案内人である。
日程は、平成二十年一月四日~八日。霊山の存在するラージギルには一月五日に到着。実は五日と六日の二日間、ゴミ収集をする予定であったが、飛行機等の遅れでラージギルに五日の午後四時過ぎに到着。霊山に登れば薄暗くなるということで、その日は参拝を断念。しかし、前もって雇っていた現地人三十名は、五日の一日一杯ゴミ収集をしてくれていた。現地人は五日と六日の二日間で一人三千円で雇った。その中、まとめ役の二人には、各四千五百円である。明日一日かけて霊山の全てのゴミ(目に見える範囲、茂みの中)を収集できるかどうか私は案じたが、出来るだけの事をするしかない。
一月六日、午前四時半起床、五時、霊山に出発。まず世尊香殿にて供養、読経をせねばならない。まだ日の出前であった。供養が済んだのは六時半前、東の空の御来光が美しい。香殿には、我々の団体のみであり、落ちついて読経が出来た。少し遅れると世界の仏教徒が訪れ、押し合い圧し合いになる。下山して朝食後、八時過ぎにまた霊山に戻る。愈々清掃だ。各自日本から持参した清掃道具を持って登る。即ち、熊手、炭バサミ、ビニールの大袋(各二十~五十袋)、手袋、カッターナイフ、ガムテープ、カットバン等であり、箒のみは十本ほど現地調達。
清掃は戒律で説く方法に依った。即ち、山頂(香殿)から入口に向かう。まず全員山頂近くに集まり、人員の確認、現地の人には持参した軍手を配る。軍手を配ると皆喜々としてものすごく嬉しそうである。インドで清掃者はカーストの低い人達と決められており、その中にはアウトカーストの人もいたようである。彼等は手袋などもらったこともないようで、軍手の付け方もまちまちで、インドの案内人が手に着けて見せていた。
既に世界の仏教徒が香殿に溢れていた。チベット、タイ、中国、韓国、ミャンマー、ブータン等の信徒である。全員で香殿の下を百八十度清掃。
諸々のゴミの中、拾ってはならないものとして、人間の髪の毛、新しいカタ及びルンタ及び経文である。しかしながら、どこの聖所でもそうであるが、カタなどは、日毎にどんどん山頂に貯まる。番人はそれらを一時的に香殿の下の崖の1ケ所に安置しておき、誰も待っていかねば、別の岩穴にまとめて入れる。我々の作業人は、その岩穴から次々に力夕を引っ張り出す。その数二百近くあったろうか。まだ岩の下にあるが危険なので断念。
頂上から約五百メートル下の入口まで徐々に降りる。路の両脇の薮の中には棘の木が多く、私の作務服はあちこち名誉の負傷、歸山氏は足に傷。それほど棘の木が多い。一ケ所ひっかかると、体に次々とひっかかってくるのである。日本の山では考えられないことである。
なお霊山には物乞いが多い。道に均等の間隔で坐っている。
清掃に参加した現地の人々
彼(彼女)等の往み家として、橋の下及び樹の石枠の中(動物に樹の皮が食べられない上うにしている) かおり、その上うな所に、ペットボトル、古い雪駄、櫛等が置いてあり、全て物乞いの生活品というので留意する。
中国の尼僧が来ており、我々のゴミ収集を見て二〇〇ルピーの御接待。今一人の尼僧は、ゴミ袋を売ってくれと言う。差し上げても二〇ルピーの御接待。幸い大柴君は中国語に堪能。
参拝道の半ばにさしかかった時、昼食休憩。物乞いにちょいちょいとルビーを渡しながら人口に下りる。
午後一時過ぎ、また霊山に戻る。参詣道の片方は丘であり・、片方は低い谷。その灌木の中には人糞もあり、うっかり踏んでしまう。ともかく、我々も雇用した現地人も、限られた時間(当日の日没近くまで)に迫られて、一生懸命作業する。インドの人々は、どちらかと言えば、のんびり仕事をしている風情かあるので、さほど期待はしていなかったが、よく働くのには嬉しい誤算となった。それもそのはず、前日、雇用を依頼した法華ホテルのマネージャーが、雇用者を霊山に集め「とにかくきれいにしなければ金は払えない」と強調したという。
午後二時半頃、当地の新聞記者が駆けつけて、取材する。極めて珍しい騒ぎという。新聞記者は後にホテルまで押しかけ、改めて取材。即ち、新聞社のエライさんが椅子にどっかと腰を下ろして、色々と通訳を通して私に聞く。彼等の話の中で最も印象を受けたことは「日本という外国からわざわざやって来て、清掃をするとは、我々インド人にとっては恥ずかしい」ということであった。今一つは、ラージギル国際仏教大学を建設する予定があるという。ナーランダにも同様の話かあり、いずれにせよ、結構なことである。
霊山の入口まで下ったのは午後三時。その前に商店が立ち並んでいるが、彼等の出すゴミは近くの国有地に捨てられている。ゴミの下にゴミ、またその下にゴミといった具合である。無論、時間かある以上、続行。ゴミが余りにも多く、拾えども拾えどもさほど変わらぬ様子に、現地の人及び子供達が笑っている。しかし徹底すれば後は時間の問題。四時過ぎまでにはどうにかきれいになった。ゴミといっても骨も混じっており、動物のものか、人骨か分からぬ状態だ。
最後に法華ホテルがチャーターしたゴミ処理の大型トラックがやって来た。運転手とその助手達が作業する人達に大声で怒鳴っている。「早く拾ってしまえ」ということらしい。
そこで最終的には、ゴミ袋は大型トラックに満載となった。昨日収集した燃えるゴミは、現地の作業人があちこちで燃やしているので、合計すれば随分の数量になったと思われる。日本から持参したゴミ収集袋は軍手とともに大きな力を発揮した。
聞くとまだインドにはゴミを処理する政策はないと言う。日本から持参した大きなゴミ袋自体、彼等にとっては珍しいものである。しかしながら、近年の高度成長の煽りで、ビニール、ペットボトルの系統のゴミが増え、その対策に頭を痛めているという。無論、今般のトラックも個人的にホテルが手配したものである。
そういう訳で、今般のゴミ収集は法華ホテルの協力が大きかった。ゴミ収集が終わった時、ゴミ袋満裁車の前で、我々も現地の作業人も皆喜々としてその仕事の充実感を味わった。
ところで三十人の雇用の他に「私も手伝ったので、お礼をもらいたい」という者が私の同行の一人に言う。このようにインドではお金の支払いになると大変で、次々に働いたという者が現れる。従ってその所では決して払わず、後でホテルにて支払うという。その時、その場所で金を渡すと必ず争いになるという。
翌日、仏陀伽耶を参拝。ここは世界遺産になっているので、ゴミを捨てると番人がやってくる。そのあたりの道端の商店も数年内に立ち退きになるという。
昨年は御布施をして成道座の中にて読経したが、今回は中に入ることは無理。その理由として、最近、成道座の土を盗ったり、弱っている菩提樹の皮を剥がした者がいて、中には入れないという。加えて昨日、チベットのある派の大祭が仏陀伽耶で行われ、その余韻で多くのチベット人が押しかけている。大塔の中も押し合い圧し合いの混雑ぶりであった。
今回の霊山のゴミ拾いについては、「長時間この霊山付近に居ただけても有難かった」というのが代表的感想てあろう。
合掌
(奈良市柴屋町 龍象寺)