明けましておめでとうございます。
待望の新年が始まりました。昨年は「新型コロナウイルス」の跳梁に始まり、コロナ騒動に終わった、「コロナ」に振り回された一年でありました。
新年は総理がコロナ征伐の陣頭指揮を執り、一気にコロナを撲滅しようと、非常事態宣言を発出する用意を整えています。「たかがウイルス、大きなダメージを与えるような性質のものではないのではないか」と思って居たのですが。時を追うに従って、このウイルスは、ただものではない、ということが判ってきました。感染して重篤化すると死亡することが、判明してきたからです。
毎日、メデアで感染者と死亡者の数字がリアルに、報道されています。死者0という日はありません。必ず、毎日亡くなった人が出ています。
こうした疫病は、今に限った病気でなく、遠く奈良平安の時代にも、発生し、公家や将軍はじめ多くの庶民を、苦しめ悲しめてきました。
福聚講も、こうした厄介な疫病の流行を払拭するため、昨年9月19日(土)14時、東京・文京区の大本山・護国寺に参拝を行いました。護国寺の本堂は大変広いので、参拝するスペースは、十分にあります。密になることはありません。この日は、私たちを除くと、2~3人の人影しかありませんでした。境内も、人影は、殆どありません。
福聚講の護国寺参拝も、今年はコロナの為この9月の護国寺参拝一回しかできませんでした。
「日本はいま危機にある。外交ではアメリカ軍によるイラク攻撃,北朝鮮による核開発や拉致など難題を抱え、経済では、十年にわたる不況に苦しんでいる。
教育に目を転じても、経済同様、改革という改革が裏目に出ている。特にゆとり教育路線が十年ほど前に本格化してから、生徒の学力は着実に低下し続けている。ゆとり教育が目指した落ちこぼれ・いじめ・不登校・学級崩壊の解消なども一向に解決の兆しを見せない。これらに歩調を合わせるように、社会は、市場原理主義の跋扈のもと、弱肉強食の巷へ、と傾斜しつつあり、容赦ないリストラや貧富差の拡大などにより不安定で安らぎのないものになった。世界一と言われた治安の良さも失われた。自分勝手な若者が増加し、恐るべき援助交際や少年非行に加え、金銭に絡む腐敗が政官財民に蔓延するなど、国民の道徳も地に堕ちた。」(「祖国とは国語・藤原正彦著(お茶の水女子大教授、数学) 平成18年1月刊」)
数学者の藤原正彦氏の世相の見解をのせてみましたが、15年前のものとは思えず、今日の、情勢とほとんど変わっていません。寧ろ、もっと悪くなっているのではと思い遣られます。
たかが、ウイルスという勿れです。このウイルスが、私の精神の弛緩状況を覚醒してくれました。この広大な宇宙の地球の上で人類は極微のウイルスに攻められ取り憑かれて苦しんでます。
この稀代の状況の中で、自分の心の力を僅かながらでも強めて行き、感染>重篤化>死亡を克服する力をつけようではありませんか。心を強く持ちウイルスを退散させるべく鍛える。
こういう事態では信仰も今までの漠然としたものより、質の違ったよりステージの上がった信仰になる気がします。
今の逆境をそれぞれのバネにして次の飛躍を準備したいものです。