「高野春秋」「(建暦二年1212)玆年十月二十五日。浄土宗開祖法然上人遷化し(注1)末資等五輪石塔を奥の院に創立す(注2)。案ずるに、別所社友内に法然往来して住す。蓋し社友等師恩報謝の為に之を建つか。熊谷入道蓮性の石塔も亦之を建つ。未だ其の施主を考へず。」
(注1)法然上人は建暦二年(1212年)一月二十五日、京都東山大谷(京都市東山区)で遷化されています。享年八十。
(注2)今でも、奥の院参道で父母恩重碑、前田利長公墓所を過ぎると左手に見えます。
「高野春秋」「(建暦二年1212)玆年十月二十五日。浄土宗開祖法然上人遷化し(注1)末資等五輪石塔を奥の院に創立す(注2)。案ずるに、別所社友内に法然往来して住す。蓋し社友等師恩報謝の為に之を建つか。熊谷入道蓮性の石塔も亦之を建つ。未だ其の施主を考へず。」
(注1)法然上人は建暦二年(1212年)一月二十五日、京都東山大谷(京都市東山区)で遷化されています。享年八十。
(注2)今でも、奥の院参道で父母恩重碑、前田利長公墓所を過ぎると左手に見えます。