地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の1/9
地蔵菩薩三国霊験記巻十三
一親の為に身を賣事
二六地蔵の権興(起こり)
三紙屋川地蔵院
四祇園仲源寺の像
五汁谷福田寺の像
六光勝寺の像
七清和院の像
八清水寺、将軍地蔵の事
九満米法師の事
地蔵菩薩三国霊験記巻十三
一、親の為に身を賣事
平の京五條坊門大宮の旁に藤原源五之任とて俗一人ありき。親の譲り抜群にして家具資財も巨多なりければ肩を並るものなし。されども親に後れてよりは兼ぬるところもなく人の諫めをも用ず心の侭に遊化歓會して恐る方もなく、名聞を先として非道のみ多かりける。去る程に度世のをきてもうすく利倍交易の計もなかりけるやらん、家財も日々に衰へけり。之任これをも思ひ咎ることなく、有るに任せて行ひけるほどに、自然に裕福薄くなりて利錢借状の故実も返すやからなかりき。凢そ當禄の豊になりし時も其の富に奢りて先祖の事を忘れ、父母の遺跡を續ぎながら報恩の道を知る事なし。況や亦貧しく衰たれば其の悲しみにつめられて二親のために小善をもなさず。されば天の憐、神の恵み絶て思はざる災来たり不測のあさましきことどもありて遊宴の輩も疎く、歓會の族も門を過ぎけり。貧は諸道の妨げと云へり。身には麻の衣を着、朝夕の烟も絶へければ夫婦ともに明日の命の續べきやうもなき故、財貨の失せたるありさまを案じ月日の数を畳て見て今年は父の十三年なり。何んすべきと思ひけれども今日の営みも心にかなはず、況や供佛施僧の事さらに思ふに足らず。手をすり胸を打ちてぞ哀れみけるが、女房に向て此の事を侘びければ、今めかしき御言かな、古の豊なりしも其の志更になし。況や今の貧なるをや。倒れて後の杖とや云ん、土中に在す父も楽しみのいにしへをこそ怨み玉ふとも憂の今を何とて怨み玉ふべし。なすべき時はなさずして事の難きを巧玉ふは餘わびしさに戯言を言(のたま)ふかとて世にも苦々しくこそ申しける。之任理につめられてよしや君さのみなの玉ひそ、理人を殺すと云へり。聞くに恥ずかしく昔も悔しくなりもてゆくとて、寒肌に汗を流し両眼に涙をうかべて申しけるは、汝の言の如く多くの貨牛馬郎従も死したり、或は売失せつなんどして芥子ばかりもなかりし。所詮親のためには我が身ほどの重宝あるべからず、此の身を沽却して其の代を以て孝養の為にせんと思立ちて下京の方にくだりて身を沽(う)る者なり、買玉へと呼びもてぞ行けるに問ふ人もなかりけり。或門の中より買ふべき由をぞ申す、急ぎ内へ入り目見けれども日比の困窮顔色青々として形体枯槁とかれければ、楚國の屈原が江潭にさまよひたるありさま(楚辞・漁父「屈原既放・遊於江潭・行吟澤畔・顏色憔悴・形容枯槁」)我が国の俊観が鬼界に放たれし古昔(いにしへ)なるらんかと笑ひてこそは居たりき。之任是非なく立ち出て九條のほとりをさまよひけるが往(いんじ)の友にはしたなくゆきあへり。此の人は古へ富みたるときの友なりしが之任が分野を見て、如何様になり玉ふぞや此の年久しく隔て奉りて心ばかりはゆかしく思ひたてまつれども我が身公事に間(ひま)なく打ち過ぎぬ、とまことに交はるに信を以てぞ申す。之任これを聞きて、さればこそ世の常無きこと夢幻の如く、盛んなる者必ず衰て今の躰を見玉へ。家財宝器悉く沽去(うりすて)今年は親の十三回の忌なりし責ては片善をも成して亡父の恩を報じ菩提をも問申さんとするに一紙をもたくはへず半錢の方を失ふことなりしかば、所詮此の如くして身を親の菩提に沽りてんとさてこそ今日罷り出たりとぞ語りける。彼の友聞きて、理は君臣の肝を動かし泣涙貴賤の眼を嫌はず袖を顔に押し当てて暫くともに泣きけり。さてしもあらばいかほどにか売玉ふべきと問へば、何ほどになりともはからひ玉へと云へば、さあらばとて五貫文(75万円位か)にやと云へば之任がいはく、今日十二街頭をさまよひ行き誰ありて買ふべきものなし。朋友の契りありがつぃとぞ申しける。扨て友の云ふやうは、某仕官の身なれば出仕せんときの供奉ばかりなり。用あらば兼日に触れ申すべし。皈り玉へとて代を渡してぞ送りけり。之任斜めならずよろこびて天晴いかめかしく弔奉らんと家に皈るところに、一飯頭陀の為に来る由をの玉ひけるほどに、よろこび請じ奉り是は亡父十三回忌なり、追善謝徳の功を願ふ由を申しければ、沙門やすき事なりとて且(しばら)く説道(説教)の儀式をなさしめて言はく、抑々報恩の為には身命を捨てて功徳をなし慈門を開て老いたるを父とし養、幼きを子として愛し、法界に慈悲を施す其の身乃ち世尊なりと説き畢りて磬(けい)を打ちて廻向し下座し玉へば、之任件の五貫文をぞ布施しける。御僧の云く、此の杖と其の施物を悟真寺(これは現在京都には右京区の悟真寺と思われる。浄土宗。創建の地は五條坊門とされる。)へ送り玉へ、其の寺の住侶なりとて外に出で玉へば消るが如くになりたまふ。不審のことよと僧の詞に任せければ杖とおぼしきは彼の寺の本尊の持ち玉へる錫杖にてぞありける。抑々彼の寺破壊して年久しきに彼の直(あたひ)をもって再起の願を立ければ此の不測の霊妙を傳へ聞きて各々奉加しけるほどに速やかならんとこを欲せざれども不日にして成りけり。實にっ誠を以てする故に此の如くありき。彼の寺と申すは五條坊門大宮に立ち玉ふ。本尊は身の長さ三尺六寸の座像彩色にて在す。高祖大師の御作なり。之任が心中喜ぶことかぎりなし。さては亡父も某が日来の不法をば思はからひ玉ふにこそと思けるに付けても感涙面を流しける。其の後久く九條より音信もなかりければあやしく思ひて罷り向て、先日の厚恩によりて仏事形の如く仕りたり。主従の儀に及ぶ上はいかで召し具し玉はずと申しければ、神妙にの玉ふものかな、此の程はさりぬべき出仕もなし何事も用のときは此の方より音信申すべし、其の間は心静かに在ませとあらんかくあらんと遠く慮り玉ふことなかれ奉公の忠を思玉はば信心を至し其の邊近き悟真寺へ日参し仁愛を以て人をあひしらひ玉へば此れにすぎたるあるべからずと堅く申し含めてぞ返しける。あまり優に思て直に悟真寺へ参りて退夜しけるが、夢に香染の衣を着たる気高き僧の之任に向て汝父の恩を報ぜんと思はば老たるを哀しみて敬ふべしとの玉ふと思へば夢さめにけり。是併しながら地蔵薩埵の御示しと思ければその夜は中途に年老に値ふとても敬ひける。慈悲を先にせよとの玉へば菓を懐中にして幼き者或は老弱をぞ恵みける。或時獄屋の邊を通りしに亡父に似たる翁あり。殊に罪重きやありなん。遥かの奥にぞ置ける人を訪ふ人の来れども目だに開くことなかりし歳のほど形のさま失ひし父によくも似てこそありけると思ふ心になつかしく覚て人目をもはばかることなく毎日問来られしを見る人ごとに不思議にぞ思ひける。去る程に見なれ問初めてたがひに親子の如く思けるが日数経てければ守護の官人ども見知りてありがたきこととて許容してこそ遠しける。然るに彼の翁病に伏して獄中に死なんとす。折ふし之任さりがたき事ありて二三日のほど来たざりしに此の由を見て唯今参り向たりとの玉ひ聞かせける。翁よろこびて目を開きて近付き玉へ見奉んと詫びければ、守りの武士も哀れみて内に入れける。之任翁が頭を膝の上にかきあげて水を含みなんどして念佛をぞ進めける。真に父の為に子として孝を成すに尚勝りてぞ見へける。翁心を静かにして申しけるは今生の命は其の方の爰に来たり玉ふを待ちてこそ惜しみ侍りき。今夜は獄吏に御理(ことはり)を申し宿し玉へ、密に申すべき事ありとてもこの身は化野の露と消べき我が命なれば、此の日日の芳問故ながらへまじきを角まで存侍る。何の世にか忘るべきと涙を流して手を合わせてぞ謝しけるが、夜深人静かにて後、彼の翁申しけるは我が身本国は武蔵なり。弓箭の家に生を假り武芸に望みありて生国をあからさまに出て巡業して兵法を試し終に淵源を究めて恐らくは孫子をも拉(ひしぎ)子房(張良のこと。BC185劉邦の軍師)をも難しとせざらんと思ひしに、一夫治世して更に兵事なし。然れば術を得たりと云も何の益かあらん。徒に心中に朽ちんことのあさましさよと思心の溢れつつ醍醐山賊の者に黨徒して手強い方には向けるが思はざるに悪人の張本となりて遂に天帝の羅網にかかりしなり。されば年月へて獄中の住居せしに件の子細の御芳志こそ言語道断にこそ侍れ。自らの壮年のころの戦事を思ひ、今老年に及んでは出家入道していかなる山里にも閉籠り年ごろの邪行を懺悔の心を願へども御免しなければ我に宝あり蔵して既に年久しく都よりは北に當って船岡山の双遵堂野に古き一宇の堂あり。其の裏に墓あり。其の墓の中に高さ六尺三寸(約191cm)にして裏に何ともしれざる文字の形あるべし。即ち我が身を移し置くべきの心なり。其の中に棺を埋むこれ喪葬埋骨の器にあらず。一身扶持の資助なり。未だ幾くならず密に堀て取り玉へ、密語て云とすれば息は絶へて失せにき。之任いよいよ哀れに思ひて我身かく事足らぬあさましき身なれども、兎角はからひ野外の煙となし申度由守護にことはりければ、始末天明かにある上は別の了簡あるべからずと許容ありければ悦びてぞ葬りけり。其の後彼の翁の遺言を思い出して件の方へ往き向て見行ければ、教への如く古堂あり。言ひしにたがはず墓ありける。されども熟(つらつら)思ひけるは此の蓮臺野(墓地)と云れは尋常の秋の野草の花虫の音なんどを聞くところにあらず。万人の尸を送りて虚しき煙を立つる野原にて人里遥かに隔たりて虎狼野干の栖なり。偶々来たれる者も夜打山賊の族ならでは来るもの曽ってなし。併しながら昼は人目のしければいかがせんと思煩ひけるが所詮運を天に任せんと其の夜の暮れを待ちにけり。日没しぬれば案内は見置きつ件の石塔を堀入りて見れば言にたがはず棺あり、土うち払いて足早に肩に掛けてぞ皈りける。急ぎ開き見べきにあらずと先ず明くるを待ちて早朝に悟真寺へ参りて心閑に念誦し真に地蔵薩埵の御利生にて此の如き財を得せしめ玉ふ、偏にありがたく侍ると伏拝つつ下向して沐浴して箱の蓋をぞ開きけるが珍しき作り物にぞありける。金銀の鉢、兼金の盃、其の外に言にのべられ口にも云ひがたき重宝数多ありける。さてこそ再び富貴の家をおこし本堂いよいよ成じぬ。これひとへに悟真寺の地蔵擁護の故なり。さて彼の五貫目文の主へも宜しく報謝し一入貴公の力故に此の如きの次第なりとて子細をのべて慇懃に断りければ、さてさて珍重の事哉、左のごとくなることあれかしとこそ願侍ると共に悦びをなしけり。されば如是の不思議の善利を得る事、孝養報恩の志深き故なり。正しく地蔵薩埵の抜苦与楽の御手を励まし玉ふものなるべし。此の事世にかくれもなかりしかば、悟真寺の地蔵は説法し玉ひて信者を得度し玉ふとぞ申し傳へけり。凢そ日月にも晴雲あり、諸法に興廃を生ず、されども此の薩埵はいよいよ利生さかんにして得益願に従ふ、親の為に孝ある者には立所に福裕を授け、母の為に志ある人をば頂を傾けて是に随順し玉へり。本願の所説に、此の場札は清浄蓮華目如来の世には光目女と申して母の永劫の重罪を救奉らん為に大願を発して遂に地蔵菩薩とはなり玉へり、亦賢劫には如来の住世正しく授記を受け奉り廣く人天の為に其の苦に代玉ふ。されば功徳には布施の力を第一とし、報恩には母の恩を先ず報ずべしとぞ説き玉へり(地藏菩薩本願經閻浮衆生業感品第四にあり)。彼の之任は父の為に身を売り布施となし佛の指南に順来たり慈門を開く。誰も如是にあらましかば何ぞ利生かなはざらん。何ぞ求としてか得ざらん。