地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の3/10
三、殺生の人を助給ふ事
駿河の國富士川の上りに殺生を業とせる男、人のすすめによりて小地蔵を一躰持ち華香時々まひらせて家にあがめ奉りけり。或時夢に鬼にとられてゆきけるを、此の地蔵こひ給けるに、鬼これは殺生の業によりて地獄へゆくべき者也と申すに地蔵是ちょり後はとどむべきよしをおしふべし、まげてゆるせとて、具して皈り給ふと見て、一両月が程は殺生とめたりけるが又本の如くしけり。いささか煩ふ事あって絶え入りぬ。今度は牛頭馬頭しばりて追立て行くに亦地蔵来てこひ給ふに、先に約束申たがへて侍れば叶候まじと申すを、やうやうに仰せられて今度計り理をまげてたすけよ、自今以後はたすくまじと仰せられてこひ取りて能々いましめ給ふに、今はふっと殺生とむべきよし申して甦りぬ。其の後一年ばかりとどめたりけるが又殺生しける程に、重き病に責伏せられて息絶ぬ。獄卒あまたしばりて追立ゆくに今度は地蔵も見え給はず。あらかひなしたとひ約束たがへて地蔵にもすてられ奉りぬと思て一心に念じ奉るに、地蔵の影の如くにてそばをとほり給ふ。御ころものすそに取りつきて、引とどめんとす。地蔵はひきはなちてにげんとし給ふ。獄卒いかにかかる悪人をばよこさまにすくひ給ふぞ。たびたび誑言申して候者をと申すに、我はたすけず、かれがとりつけるなりと仰せられける時、一人の獄卒が矢を以てせなかよりまへへいとをしぬ。又一人ほこをもってむねをつきてつらぬきて土につきとほして獄卒さりぬと思て蘇生して後、胸に疵ありてかさとなり、遥かになやみて後出家して當時後世菩提の勤め懇ろにして地蔵を恭敬して、のちには出家して一心に皈入し侍ると云へり。弘安年中(1278年から1288年)の事なり。
引証。本願經に云、但し佛法中に於いて爲す所の善、一毛一渧一沙一塵、或毫髮許り、我漸く度脱して大利を獲しめん(地藏菩薩本願經分身集會品第二「但於佛法中所爲善事。一毛一渧一沙一塵。或毫髮許。我漸度脱使獲大利。唯願世尊不以後世惡業衆生爲慮」)。