観音霊験記真鈔12/33
西國十一番山州上醍醐寺准泥(ママ)観音像。御身長三尺90㎝なりと。一説に不空羂索の像と云へり。釋して云く、此の准泥(ママ)観音とは謂く准泥の二字を世上に種々に書き持ゆるなり。絶山観音經和字の鈔には順禮観音と註す。但し本據ある歟用られず。或は准の字を準の字に書く人あり。此れ準の字正字なる故に用ゆべし。准は俗字なる故に願くは準泥観音と書くべきなり。或が云く、準は俗字、准は正字といへり。大に非なり。委しくは廣韻(中国中古期の韻書)三之巻、十五丁右、等を開いて見るべし。又泥の字を提の字に書き用る人あり。此の二字準泥經の中に互に通用して書顕す。故に邪正なきものなり。されば不空所譯の七倶胝佛母所説准泥陀羅尼經之題号には提の字を書き、亦經の中に明かす處の陀羅尼の説には波誐嚩底准泥陀羅尼薩妬矣。此の陀羅尼には泥の字を書く。故に互に通用して用る也。或は胝の字を書く、是又當陀羅尼經に違して用ひられず。此の准泥の名義を批判するに准泥陀羅尼經字母種子義に曰、准の字は一切の法無等覚の義、泥の字は一切の法無取捨の義(七倶胝佛母准胝大明陀羅尼念誦法門「准字者。一切法無等覺義。泥字者。一切法取捨義。娑嚩字者。一切法平等無言説義。訶字者一切法無因義。由一切法本不生故。即得不生不滅乃至由平等無言説故。即得無因無果。般若相應無所得以爲方便入勝義實際。則證法界眞如。」)。無垢に由る故に即ち無等覚を得。無等覚に由る故に即ち無取捨を得。無取捨に由る故に即ち平等無言説を得。准の字は一切法無等覺の義とは、妙覺果満の内証を云ふなり。されば等覺とは断証妙覺の位に等しき故に等覚と云ふ。智周大師(唐代の高僧。法相宗の第三祖)の云、佛所得の法を而も皆是を得る、故に等覚と名く(成唯識論演祕卷第一・沙門智周撰「佛所得法而皆得之菩薩稱等。所得自在離障圓極故佛云勝。故大般若五十五云。云何當知已圓滿。第十法雲地菩薩。與諸如來應言無異」)。此の故に二覚の位、一の具に是を挙ぐ。是に依りて無等覚の義は妙覚の義なり。次に泥の字は一切の法無取捨の義とは、前の無等覚は一切諸法に著せざる所の空理一遍を示す。故に今此の一切法無取捨の義とは空と雖も不空の空にして妄心を捨て真理を取る取捨の心地も早是顛倒の妄心變現輪廻の相なりと見る。故に真をも求めず、妄をも捨てず、衆生一念の無明心即ち如来の心なりと通達するを是を一切法無取捨の義と云ふ。次に無垢とは清浄の義なり。清浄とは真實智慧なり。又實相智なり。是即ち等覚の菩薩の徳用なる故に観音を等覚無垢の大士と云ふなり。次に、平等無言説とは謂く、無言説の處より假に言語を儲るも則ち如来蔵にして、一切諸法本より言説の相を離れ、畢竟平等にして差別なく衆生を利益し玉ふことなり。委しくは起信論等の如し。
次に此の准泥観音は佛母准提陀羅尼經の説に依るに像法は三目十八臂也。謂く三目十八臂とは上の二手(左右)は説法の相也。次に右第二の手は施無畏とは此の尊に帰依し神呪を誦持する輩は一切の處に於いて怖畏なく安全ならしめんことを示すの御手也。次に第三の手は剣を把りとは此の寶剣を以て一切魑魅鬼神を降伏し玉ふ御手也。次に第四の手は数珠を把しとは、百八煩悩を消滅し玉ふ相を示す御手なり。次に第六の御手は鉞斧(かいふ。マサカリ)を把りとは鉞斧は兵器なり、官軍を破するの具なり。次に第七の手は鉤を把るとは鉤は具さには俱戸鐵鉤(くこてつこう)と云ふ。是寶蔵を開き衆生に寶を施し玉ふ御手なり。次に第八の手は抜折羅(ばつせつら)を把るとは抜折羅、此には金剛と云ふ。この金剛を以て天魔鬼神を降伏せんが為の御手なり。次に第九の手は寶鬘を把るとは西域記に云、梵には摩羅と云、此には鬘と云ふ。資持記下之三に云、西土には華を以て鬘を結ひ首に貫き及び香油を用ひて身に塗り以て美飾と為す(四分律行事鈔資持記「西土以華結鬘貫首。及用香油塗身以爲美飾」)。寶鬘とは華鬘の類なるべし。次に左第二手は如意寶幢を把りとは、是如意にの益を施したまふ相なり。次に第三の手は蓮華を把るとは、是五欲に染著せず清浄になることを増長し玉ふ御手なり。次に第四の手は澡鑵(そうかん・僧の用いる盥)を把るとは澡鑵は水を容るる器也。その益思擇すべし。次に第五の手は索を把るとは索は羂索なり。次に第六手は輪を把るとは具さには金輪と云ふ。能く諸の煩悩悪障を破する御手なり。
次に第七の手には螺を把するとは螺聲は召呼にあり。千手經に云く、若し一切の諸天善神を召呼せんが為には當に寶螺の手に於いてすべし(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「若爲召呼一切諸天善神者。當於寶螺手」)。次に第八の手は賢瓶を把るとは賢瓶は又軍持と名く。謂く、天竺には戦場に向かふに瓶に水を入れて呑ましむる故に尒云ふ。今観音所持の賢瓶は大悲の心水を以て衆生の煩悩の濁水を清浄にならしむる貌なり。次に第九の手には般若波羅蜜經を把るとは是般若真空の理を行者に與へ現在には災難を拂ひ當来には道果を得せしめん貌なり已上。面の三目は法報應の三身を表する歟と。
西國十一番目山城國上醍醐寺。三目十八臂準泥観音の像は聖寶僧正の開基なり。然るに僧正十六歳の時、真雅法師(弘法大師の弟、諡号法光大師。弘法大師より天長の大事、両部不二大阿闍梨灌頂極秘印言を受ける)に謁して剃髪し智道兼備の誉和朝にかくれなし。延喜二年902僧正となり醍醐寺を給りて住持せり。志學の時(15歳)より深く観音を念ず。或時華をつみ佛に供養せんとて東山に攀じ登りしに草木一時に變じて黄金の地の如くなると覺ゆ。僧正奇異の思ひをなし、且く歓喜三昧に住す。忽ち神僧現れ玉ひて僧正に告げての言はく、
汝平生の志を見るに厚く観音の像を造らんと欲ふの願あり。爰に於いて大悲準泥の像を刻むべしと霊木をあたへ玉ひて又云く、若し観音の像成就せば此に一宇を建立すべしと、云ひ畢りて化し去りぬ。僧正思へらく、是観音の應化と喜び右の靈木を以て尊像を刻み一堂を建て今に至りて西國十一番番目に安坐し玉ふなり。
歌に
「逆縁茂漏らさで摂ふ願なれば 順禮堂輪頼敷哉」(逆縁も もらさで 救う願なれば 巡礼堂はたのもしきかな)
私に云く、歌の意は上の句に「逆縁も」と言かけけて下の句に「順禮堂」と云ふは凡そ佛教に於いて、逆即是順の覚りあることを詠歌に含めるなり。別して観音の利益とは大慈大悲は薩埵の弘願定業亦能轉は諸佛の直道なる故に。或云、提婆が悪も観音の慈悲と釋せるも、逆即是順の悟りを云なり矣。楞厳経の説に由るに、天竺舎衛城に鴦掘(おうくつ)外道と云者あり。或外道の教えに依りて千人の指を切りて頭冠の餝とすれば天に生ずると云ことを聞きて九百九十九人を殺して一人不足す。仍って我が母を殺さんと為し剣を抜いて進む。其の時佛光を放ち玉へば、鴦掘動じて度を失す。母が云く、是日月の光にあらず。佛の光明なりと告ぐれば、母をすてて佛を害させんとす。已に佛に往合奉るに鴦掘追いかけ殺さんとすれども、佛に追著く事ならずして、瞿曇沙弥とどまれと云ふ。佛の言はく、我一歩も動かず、前来前来との玉へる言下に於いて不起法忍の悟り(無生法忍。形相を超えて不生不滅の真実をさとること)を得たり。是等を逆即是順の覚と云へり。又は西國第三番目の孔子古が縁起等(西国三番粉河寺は猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が自宅に泊めた童子が刻んだ千手観音像を祀ったのが起源)、亦是観音薩埵の逆即是順の利益也。慧信僧都の歌に、「法の道知るも知らぬも押並て極楽へ行く舟の便り丹矣」。又或人の歌に「何事も知らねど登る高野山 戀も菩提のたねとなるらん」
西國の逆即是順の歌に引き合わすべし矣。
又浄名經に、鉤を以て後ろに引いて道に入らんと欲すと矣。順逆皆縁と成る意なり。