第三、 付法相乗章
(真言密教は大日如来・金剛薩埵・龍猛・龍智・金剛智・不空・恵果・ 弘法大師と着々と師資相承されてきて途切れることはなかった。これは偏に大日如来の加持力によるところである。)
凡そ生身釈迦如来一代所説の顕教の付法相承を尋ぬるに、初めは如来これを迦葉尊者に伝へ次は之を阿難尊者に伝へ、乃至西天二十四祖の獅子比丘に至るまでは師子相継で血脈たゆることなかりしが(付法蔵 因縁伝』では 摩訶迦葉から師子までの二十四祖師の 因縁を述べ最後に師子の法難によ「是に於いて便ち 絶へたり 」とする 。正法眼蔵・仏祖には「・・釈迦牟尼仏大和尚・摩訶迦葉大和尚・阿難陀大和尚・商那和修大和尚・優婆毱多大和尚・提多迦大和尚・弥遮迦大和尚・婆須蜜多大和尚・仏陀難提大和尚・伏駄蜜多大和尚・婆栗湿縛大和尚・當那夜奢大和尚・馬鳴大和尚・迦毘摩羅大和尚・那伽閼刺樹那大和尚(又龍樹又龍勝又龍猛)・伽那提婆大和尚・羅睺羅多大和尚・僧伽難提大和尚・伽耶舎多大和尚・鳩摩羅多大和尚・闍夜多大和尚・婆修盤頭大和尚・摩奴羅大和尚・鶴勒那大和尚・獅子大和尚」とある)、この時に及びて 罽賓国(カシュミール)の暴王弥羅窟ほしいままに仏法を破壊して師子比丘をも殺害しければ(付法蔵伝「復比丘有り名けて師子と曰う罽賓国に於て大に仏事を作す、時に彼の国王をば弥羅掘と名け邪見熾盛にして心に敬信無く罽賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す、即ち利剣を以て用いて師子を斬る頸の中血無く唯乳のみ流出す。法を相付する人是に於て便ち絶へたり」)惜しいかな血脈相承この時全く断絶せり。以来教法において漸く種々の異見を生ずるに至りぬ。顕教一度唐土に流布してより後は、これ等の争論ますます甚だしくなりて各々己が所見に任せて教法を判じて宗旨を開き、自を是とし他を非とし紛然として停止するを知らず。
我が真言密教の付法相承はこの如くには非ず。教主法身大毘盧遮那如来はこれを自眷属の金剛薩埵に伝ふ、金剛薩埵は南天竺の鉄塔に住し、潜に流伝の時を待たせたまふ。ここに釈迦如来入滅の後、八百年の中に一人の大士あり。龍猛菩薩と名つ゛く。初めには広く天上竜宮に遊びて法華・華厳等の顕教を学びてこれを人間に流布し、遂にこの鉄塔を開きてまのあたり金剛薩埵に灌頂を授けられて真言秘密最上教を受け給へり。(龍猛菩薩については、八宗の祖とされる竜樹と同一人物か否かということが争われてきたが、権田雷斧などは「知」と「信仰」はべつであるとして信仰上は同一人物であるとする)
しかして後、龍猛菩薩これを龍智菩薩に伝え、龍智菩薩これを金剛智三蔵に伝へ、金剛智三蔵は之を不空三蔵に伝え、不空三蔵はこれを大唐青龍寺の恵果和尚に伝へ、恵果和尚は之を我が国の高祖弘法大師に伝へたまふ。この如くの八代の祖師嫡嫡相承し給ふこと譬えば玉印金箱の帝帝相付するが如し。
凡そ真言密教には傍伝あり、正伝あり。我朝において古より伝密の人師多しといえども概して枝葉に攀じ其の末流を汲みたる初伝なり。独り我が高祖大師の所伝に至りては真に源を盡すところのものにして即ち是れ大日如来の心肝、金剛薩埵の脳胆なり。高祖大師以降の門葉はひたすら此の根本正統の真言密教を護持すること眼肝の如く、彼の八祖相承の風範を仰ぎて師資相継し、高祖の御入定を去ること一千有余年の今に至るまで未だ嘗て絶えたることあらず。これ偏へに法身如来加持力の致すところにして法の最上なる所以全くここにあり。