妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・17
三には結歎。
「無盡意。受持觀世音菩薩名號。得如是無量無邊福徳之利」
此の中に
「如是」とは上を指して結するなり。
「無量無邊」の四字は正しく歎ずるなり。
後番の問答に二つ。初めには問、
後番の問答は観音能く種種の善巧方便を以て無量の身相を現じ、彼彼の機根に随ひ楽欲に應じて説法し玉ふことを明かす。故に観音の現じ玉ふ三業の利益皆衆生の見聞するところにして顕はなれば顕應と云。所化の衆生は身に禮拝供養するにも非ず。口に名号を唱ふるにも非ず、意に念ずるにも非ざれども、若し三業を以て教化し玉はば、利益あるべき機のごとし。を心中に具足するが故に冥機と云(冥は暗なり。三業俱に外にあらはるることなきが故に冥と云)。
「無盡意菩薩白佛言。世尊。觀世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而爲衆生説法。方便之力。其事云何」
是は普門示現の三業の利益を問中に先ず身業を問なり。(普門とは菩薩の三業は門の如し。此の三業、衆生の無量の機根に應じてさまざまの利益を施し玉ふ。一切に普きが故に普門と云。菩薩の三業の示現を衆生佛法に入る便りとす。是門の義とするなり。)
「云何遊此娑婆世界」とは、云何様なる形にして娑婆世界に遊行して衆生を化度し玉ふやと問なり。「娑婆」とは梵語には堪忍と云。此の土の衆生は三毒等の諸の煩悩の堪がたきを能く忍んで受くるが故に娑婆と云(悲華經卷第五諸菩薩本授記品第四之三「後分之中此佛世界當名娑婆。何因縁故名曰娑婆。是諸衆生忍受三毒及諸煩惱。是故彼界名曰忍土」)。新家の梵語には索訶と云。「さば」(梵語)を「さくか」と呼ぶことは「ば」(梵語)に和の音あり。訶は直音、和は拗音にして本一音なるが故に尒(しか)云なり。
「云何而爲衆生説法」是は口業の利益を問ふなり。
「方便之力。其事云何」是は意業の利益を問ふなり。凡そ方便に二種あり。圓教の初住より已前に真理を悟んと修行するをば進趣の方便と云。是は自行の方便なり。証道已前なるが故に道前の方便とも云。初住已後に衆生を利益せんが為に方便を廻して三業の利益を作すをば利物の方便と云なり。
二には答に三つ、初めには別答に八つ。(上の問答には先ず総答、次に別答なり。今は先ず別答、次に総答なり。此れ則ち如来、文を前後して巧に説き玉ふなり。)一には聖身に三あり。此の聖身の中に菩薩なきことは観音即菩薩なるが故に。又下の総相の中の「以種種形」の文に含むが故に)