華厳経巻八菩薩雲集妙勝殿上説偈品第十「・・一切の法は生なし、一切の法は滅なし、若し能く是のごとく解らば、諸仏は常に現前せん。・・諸仏は本来空にして思量することを得べからず。・・・
虚妄に法相を取るは、これすなわち痴冥となす。此の故に仏を見奉らずまた真実を得ず。牟尼は三世を離れ、相好悉く具足し、住において所住なく、法界悉く清浄なり。因縁の故に法生じ、因縁の故に法滅す。かくの如く如来を観ずれば究竟して痴惑を離る。・・
若し人諂曲ならば終に諸仏を見たてまつらじ。・・諸法は虚にして実なきに妄りに堅固の相を取る、このゆえに童蒙のものは常に生死の輪を転ず。・・無量劫にこの衆の苦悩を受けて生死の中に流転せる所以は、仏の名を聞かざるが故也。・・現の佛は縁合にあらず、去来も亦復しかり、一切の法は無相なり、是すなわち仏の真性なり。・・」
虚妄に法相を取るは、これすなわち痴冥となす。此の故に仏を見奉らずまた真実を得ず。牟尼は三世を離れ、相好悉く具足し、住において所住なく、法界悉く清浄なり。因縁の故に法生じ、因縁の故に法滅す。かくの如く如来を観ずれば究竟して痴惑を離る。・・
若し人諂曲ならば終に諸仏を見たてまつらじ。・・諸法は虚にして実なきに妄りに堅固の相を取る、このゆえに童蒙のものは常に生死の輪を転ず。・・無量劫にこの衆の苦悩を受けて生死の中に流転せる所以は、仏の名を聞かざるが故也。・・現の佛は縁合にあらず、去来も亦復しかり、一切の法は無相なり、是すなわち仏の真性なり。・・」