真言宗安心論議(長谷寶秀)
「・・・・安心ということばが真言宗の人々の著作に現れたのは江戸中期からである。そのため安心ということばの意味も確立しておらず、思い思いの安心を説いていた。
曰く
・菩提心安心(菩提心に安住するのが真言宗の安心であるとする)
・凡聖不二安心(古義ではおもにこれをいう)
・即身成仏安心(大師は即身成仏義を著わされ、即身成仏の義をおたてになっているとする)
・三密修行安心(真言宗では三密(身口意)行を修して仏果を得るため)
・密厳浄土安心(大日如来の密厳浄土を目的として進むのが真言宗の安心という)
・十方浄土安心(浄土宗や真宗では西方浄土というが真言宗は西方に限らず十方の浄土をそれぞれの機根にしたがって願ってよいとする)
・兜率浄土安心(大師は弥勒菩薩の兜率天におられるのであるから真言宗の信者は兜率往生を願うべきとするもの)
安心統一の是非
真言各寺の本尊は観世音菩薩・不動明王等まちまちであり、曼荼羅の諸尊も幾千もおられるのであるから各自の安心も思い思いでよいとする考えがあるがこれは間違い。
竜猛菩薩の「菩提心論」に「諸仏菩薩の身を成ぜんと願うものを亦菩提心と名く。なんとなれば諸仏菩薩みな大毘盧遮那仏身におなじなり。」とあるように、諸仏菩薩に共通の安心があってしかるべき。本尊が一定であることと安心が一定であることは議論がべつである。
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