(先に真言の安心も統一すべしといったが)統一上に諸説ある。
1、上中下の三根の安心を立てて統一しようとするもの。栂尾の自性上人、天盧快圓師の説がこれ。上根は即身成仏、中根は往生成仏、下根は弥勒菩薩出世時に授記を受けて成仏するとするもの。この上中下の三根を立てるのはもと大妙金剛経の説であるが、この経文には三根共に一生成仏の正機となっている。したがってこの説はとれない。
2、正機・結縁の二機安心に統一しようとするもの。これも天盧快圓師の説。上根は心を三昧地にすえて自身即佛と観じ、下根は心を三昧地にすえて仏の本誓に縋って往生するというもの。(密経の中に、大日如来が『我が説くところの三密を修行する者があれば、我必ずその者のところに至って救うてやるぞというご誓願があるからそれにお縋り申し上げて往生をねがうというもの)しかしこれも証拠がない。そのうえ真言宗全体が即身成仏の観よりほかはないから下根の者とて自身即佛との観、全くないということはない。また如来の本誓にあずかるということも下根に限らない。上根の人でも如来の本誓におすがり申すのである。
3、服部僧正は総安心・別安心ということも言われた。総安心は上下根ともに凡聖不二安心で、別安心では上下二根を別けて上根は即身成仏安心、下根は往生浄土安心という。しかしこれも経典上根拠がない。安心というのは宗意に安住することである、宗意は一つでなければならぬ、宗意が一つならば安心も一つである。上根下根は種類が違うのではなく、深浅厚薄が違うのみ。上根は宗意を深く解して深く安心し、下根は浅く解して浅く安心するということだけ。
4、在家出家の安心格別という説。天盧快圓師の「安心小鏡」服部僧正の「安心教示章」等にある。出家は上根上智であって即身成仏する。在家は下根下智であるから隔生往生であるとする。これも経論に根拠がない。釈雲照和上の「安心義章」にも「出家といえども下根下智のものなしとせず。在家といえども上根上智のものなしとせず」とある。
5、結論、「因」「根」「究竟」の三句をもって安心を統一しようとするもの。この三句は大日経の「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」というもの。これは高野山釈良基教正の「密宗安心鈔」の説。これにいろいろなものが入る。菩提心安心・阿字本不生安心・凡聖不二安心・即身成仏安心(理)これらはみな因の句(菩提心を因とし)に入る。三密修行安心これは根の句(大悲を根とし)に入る。その他、即身成仏安心(顕得)・三品悉地安心・密厳浄土安心・十方浄土安心・極楽浄土安心・兜率往生安心・人天往生弥勒出生授記作佛安心等これらは皆究竟の句(方便を究竟となす)に入る。なぜかというと因根究竟の三句は一行者の上の修行入証の始中終であるから。まず菩提心をおこして、次に修行する、修行の力によって仏果を得る。こういうのが因根究竟の三句であるからこれに皆入ってくるわけであり、この三句で統一するのがよろしい。
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 8ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 2年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前