福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)・・その37

2014-03-15 | 法話

第三七課 お茶時ティータイム


 イギリスの家庭では四時過ぎ頃、家族一同集まってお茶を飲みます。いわゆるお茶時ティータイムです。お茶は紅茶で、お茶受けにはパンの薄片うすきれにバターを塗ったもの、ビスケット、ケーキ、その時々の主婦の思い付きによります。時にはコーン・フレックスといって玉蜀黍とうきびの沢山入ったパン菓子の暖め立てのものを食べます。なかなか美味おいしいものです。
 巴里へ行きますと、沢山ある珈琲店カフェーで、香り高い珈琲コーヒーのコップを前に控え、人々はひと息、息を入れています。珈琲の容器いれものが柄の付いた縦に細長いシークなコップで、それに吸管ストローをつけて来ます。これがいかにも巴里らしい感じをさせます。巴里の珈琲店は給仕も男で、客は家族連れで行ける極めてさっぱりしたものです。
 私たちも一日に一度ぐらい家族と集まってお茶を飲みます。格別何といって話もあるわけではありませんが、何となく気持ちに潤いが出て、あとの仕事の励みになります。
 考えてみれば不思議な習慣です。別にお腹も減っていなければ咽喉が乾いているわけでもありません。それでいて、これを省くと何となく物足りない感じがします。用事のある客が来たのを招き入れて用談かたがたお茶を飲むときもありますが、どうもあとで、はっきりお茶を飲んだ気がしません。やはりお茶を飲むときは無駄なようでも、のんびりした雰囲気を作って家族一同の気持ちの転換を計った方がよいようです。
 世の中に無用の用ということがあります。無用なればこそ役に立つということです。
 昔、ある国に非常に倹約な殿様がありました。幕府から普請奉行を命令いいつかったので、材料の木材を川に流して運び、それを陸へまた引き上げました。今でもそうですが、この時代にも人夫が材木を鳶口で河岸へ曳き上げるには掛け声をかけたのでした。殿様は河岸へ出張って材木の曳き上げを見ていると、いかにも掛け声が長くて仕事の時間が不経済だと思われました。「やれこのえんやらえ」というのであります。これをずっと永く引いて掛け声するのであります。殿様は早速人夫頭を呼んで言いますには、「全く掛け声しないのも永年の習慣で気が済むまい。だから掛けてもいいが、終しまいの方の文句だけに致せ。はじめの方は倹約致せ」といいつけました。鶴の一声でありますから仕方がありません。人夫頭は命令を人夫一同に伝えました。そこで人夫たちは、終いの文句の「えんやらえ」だけで材木を曳き上げてみましたけれど、どうも調子が悪くて直ぐ疲労くたびれてしまいます。しかし、文句の倹約は、殿様直々じきじきのお触出しですから、今さら、もとへと願い出も出来ません。窮した結果あげくが、次のように掛け声を改めました。「はじめは倹約えんやらえ」と。殿様はさぞ吃驚びっくりしたでありましょう。これは私が子供のとき付いていた乳母が得意になって私に話して聴かした話で、今に耳に残っております。
「イギリスの家庭の美風は、お茶時ティータイムで維持されている」「フランス人の機智は、珈琲店カフェー(日本のカフェーとは違います)で培養される」。こういうことがよく西洋で言われています。
 ですから、物事はあまり無用だ無用だと言って切り捨ててしまうのもいけませんが、さればと言って、無用のものを、有用のものの妨害になるほど増長させてもいけません。よく世間には、「まあ落付いて一服」と言って莨たばこばかり吹かし、結局何もせずに落付きじまいになってしまう人もあります。この辺の兼ね合いはなかなか難しいものです。こういう言葉があります。

有無うむ相通あいつうじ、長短ちょうたん相補あいおぎなう。

(栄西禅師も「喫茶養生記」で「茶は養生の仙薬なり」と書いておられますが、古今東西「茶」は人の心をいやすものであったのでしょう。岡倉天心の「茶の本」もわたしは高校生の時、寺の本堂の片隅に勉強机を置き何度も読み返してなぜか早くも隠者になった気分に浸ったものです。
 かの子が此れを書いたころの日本と100年以上後の今の日本との違いはこの「無用の用」を忘れているところにあるのかもしれません。構造改革とかいうまがい物の考えに踊らされて、成果主義とかコストカットとか、とかいう言葉がはやったりして、いつのまにか「よき日本」は忘れられて世知辛さ一辺倒の日本になってひさしいものがあります。最近では「茶道」「華道」など『道』のつく習い事は一向に聞きません。これは想像力の時間的空間的範囲がどんどん狭小になっているからだと思います。年よりの取り柄は「無用の用」を分らせること、仕事に追いまくられている現役世代の考えられない広いあの世まで含めた時間的空間的範囲の考えを周囲に分らせ世の中のバランスをとることではないかと思うこのごろです。昔のお爺さんお婆さんは存在自体がそういう無用の用の役目をしていたと思います。雑宝蔵経では、老人を役立たずとして捨てていた棄老国の王の夢に天神が現れて,難題を与え、解けない場合は国を滅ぼすと告げたが、孝行息子により匿われていた老人がその難題を解いたので,それ以後,棄老は廃止されたという話もあります。 )
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