今日も雨です。外出の用の無い当方にとっては雨もなかなか趣のあるものです。
昔の山寺の暮らしを思い出すからです。
山寺の高い屋根から雨垂れが地面におちてポトポトという音は雨の日の寺の暮らしの趣ではありました。この窪みを雨垂れ落ちというそうですがこの窪みには雨水が溜まってきて大きな水たまりとなりピチャピチャという音に変わります。その水のはねる形も子供には面白いものでした。
そして何故か季節に拘わらず雨の日は北原白秋の「落葉松」を思い出すのでした。「・・・からまつの林の雨は さびしけどいよよしづけし。 かんこ鳥鳴けるのみなる。 からまつの濡るるのみなる。世の中よ、あはれなりけり。 常なけどうれしかりけり。 山川に山がはの音、 からまつにからまつのかぜ。」
どこかで「雨は聞くべし」という句に出合ったような気もします。碧巖録には雨垂れの公案があるようです。
『碧巖録』第46則に「鏡清雨滴声」として「鏡清、僧に問う、門外是れ什麼の声ぞ。
僧云く、雨滴声。清云く、衆生顚倒して、己れに迷うて物を逐う。
僧云く、和尚作麼生。
清云く、ほとんど己れに迷わず。
僧云く、ほとんど己れに迷わずと、意旨如何。
清云く、出身は猶ほ易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし。(雨垂れの音にとらわれないということはやさしい。しかし雨垂れと我とは不二であるという不二の境地をいうことは難しい。)」とありました。