福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

両部神道論其の21(神仏習合年表11)

2014-10-29 | 講員の活動等ご紹介
13世紀、伊勢外宮において「神道五部書」成立。伊勢神宮外宮の神職であった度会氏が、外宮の祭神である豊受大神を天之御中主神および国之常立神と同一神とすることで、天照大神をしのぐ普遍的神格であることを主張。修験道の立場からなされた神道説の書『大和葛城宝山記』などの影響が指摘されている。豊受大神は國常立尊・天御中主神・大元神・御饌都神と異名であるが同じ神であり、天照大神の出現以前の神で至高尊貴にして最高神であるとする。また、内外宮が相俟って神威を揚げ、世の人々の救済にあたるという二宮一光説も掲げている。五部書とは、(一)天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき) (二)伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき) (三)豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんき) (四)造伊勢二所太神宮寶基本紀(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき) 五)倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)。

・「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
天照坐皇太神一座
記に曰く、伊弉諾尊曰、吾御寓之珍子に生まれんと欲す、乃ち左手を以て銅鏡を持ち、天鏡尊所作の三面宝鏡なり、則ち化出の神あり、是を大日霊貴という、また天照大日霊貴と号す、此の御子光華明彩、六合の内を照らす、天地開闢ののち神足地を履き行く、身光転滅、天地大冥なり、ときに衆生を度せんがため日月星像虚空に現ず、日神月神と名ずくるなり、故に伊弉諾伊弉冉二柱神喜んで曰、吾息多しといえどもいまだ子の如き霊畏の子あることなし、久しくこの国に留まるべきにあらず、自ら當に早く天にかくれるて授けるに天上の事をもってすべし、日神即ち日の小宮に留宅す、・・・」

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