(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)
(戒の内容・殺生罪)・・5
復次に慈三昧を行ずれば其福無量なり。水火も害せず刀兵も傷らず。一切の惡毒も中る能はざるところなり。五大施を以ての故に得る所如是なり。復次に三世十方中に佛を尊ぶを第一となす。佛が難提迦優婆塞
(起世経に「彼智弓王。復生二
子。一名師子頬。二名師子足。師子頬王。紹
繼王位。復生四子。一名淨飯。二名白飯。三
名斛飯。四甘露飯。又生一女。名爲甘露。諸
比丘。淨飯王生二子。一名悉達多。1二名難
陀。白飯二子。一名帝沙。二難提迦。斛飯二
子。一阿泥婁駄。二跋提梨迦。甘露飯二子。
一阿難陀。二提婆達多。其甘露女。唯有一子。名世婆羅。諸比丘。菩薩一子。名羅睺羅。つまり浄飯王の弟の白飯の二子の一を帝沙と名づけ、二は難提迦)に語りたまふが如し。殺生に十罪あり。何等爲十。一は心常に毒を懷いて世世に絶ず。二には衆生憎惡して眼に見るを喜ばず。三は常に惡念を懐きて悪事を思惟す。四には衆生これを畏れて見ること蛇虎のごとし。五には睡る時に心に怖れ覺めて亦た不安。六には常に惡夢あり。七には命終之時、狂怖惡死す。八には短命の業因縁を種ゆ。九には身壞命終して泥梨中に堕す。十には若し出でて人となっても常に當に短命。
復次に行者は心に念ぜよ。一切の命あるもの乃至昆虫は皆な自ら身を惜しむ。云何が衣服飮食をもって自らの身のために故に衆生を殺さん。復次に行者は當に大人の法を学すべし。一切大人中に佛を最大となす。何以故、一切の智慧成就して十力具足し、能く衆生を度して常に慈愍を行じ、不殺戒をたもって自ら佛を致得し、亦た弟子に此の慈愍を行ずることを教ゆ。行者は大人の法を学ばんと欲するがゆえに亦當に不殺なるべし。
問曰く、「我れを侵さざる者には、殺心息むべし。若し侵害・強奪・逼迫を為さば、是れ当に云何がすべきや。」答曰く「應當に其の輕重をはかるべし。若し
人己を殺さば先ず自ら『戒をまっとうするの利重きか、身をまっとうするを重きとなすか。破戒を失と爲すや、喪身を失となすや』と思惟せよ。如是に思惟し、已に持戒を重しとなし、身をまっとうするを輕しとなす、と知る。若し苟しくも免れて身を全とうすとも身に何の得るところあらんや。是の身を名けて老病死藪となす。必ず當に壞敗す。若し持戒のために失身すれば其利は甚重なり。又復た思惟せよ。『我前後に身を失すること世世無數なり。或は惡賊禽獸之身となり、但だ財利のために諸不善事を為す。今乃ち淨戒を持することをなすことを得る故に、此身を惜まず命を捨てて持戒するは禁を毀って身を全うすることに勝ること、百千万倍にして、喩と為すべからず』と。是の如く心を定めて、応当に身を捨てて、以って浄戒を護るべし。
一須陀洹(預流に同じ。声聞の四果のなかの初果)の人の如きは、の家に生まれて、年、成人するに向かい、応当に其の家業を修むべきに、肯(あえ)て殺生せず。父母は刀と並びに一口の羊を与えて、屋中に閉著して、之に語りて言わく、『若し羊を殺さざれば、汝をして出でて日月を見ること、生活、飲食することを得しめざらん』、と。児、自ら思惟して言わく『我れ、若し此の一羊を殺さば、便ち当に終に、此れを業と為すべし。豈に身を以っての故に、此の大罪を為さんや』、と。便ち刀を以って自殺す。父母戸を開きて見るに羊のみ一面に在りて立ち、児は已に命絶へり。自殺の時に即ち天上に生ぜり。
若し、此の如き者を是れを寿命を惜まず浄戒を護るを全うすと為す。如是等の義を、是れ不殺生戒と名づく。
(戒の内容・殺生罪)・・5
復次に慈三昧を行ずれば其福無量なり。水火も害せず刀兵も傷らず。一切の惡毒も中る能はざるところなり。五大施を以ての故に得る所如是なり。復次に三世十方中に佛を尊ぶを第一となす。佛が難提迦優婆塞
(起世経に「彼智弓王。復生二
子。一名師子頬。二名師子足。師子頬王。紹
繼王位。復生四子。一名淨飯。二名白飯。三
名斛飯。四甘露飯。又生一女。名爲甘露。諸
比丘。淨飯王生二子。一名悉達多。1二名難
陀。白飯二子。一名帝沙。二難提迦。斛飯二
子。一阿泥婁駄。二跋提梨迦。甘露飯二子。
一阿難陀。二提婆達多。其甘露女。唯有一子。名世婆羅。諸比丘。菩薩一子。名羅睺羅。つまり浄飯王の弟の白飯の二子の一を帝沙と名づけ、二は難提迦)に語りたまふが如し。殺生に十罪あり。何等爲十。一は心常に毒を懷いて世世に絶ず。二には衆生憎惡して眼に見るを喜ばず。三は常に惡念を懐きて悪事を思惟す。四には衆生これを畏れて見ること蛇虎のごとし。五には睡る時に心に怖れ覺めて亦た不安。六には常に惡夢あり。七には命終之時、狂怖惡死す。八には短命の業因縁を種ゆ。九には身壞命終して泥梨中に堕す。十には若し出でて人となっても常に當に短命。
復次に行者は心に念ぜよ。一切の命あるもの乃至昆虫は皆な自ら身を惜しむ。云何が衣服飮食をもって自らの身のために故に衆生を殺さん。復次に行者は當に大人の法を学すべし。一切大人中に佛を最大となす。何以故、一切の智慧成就して十力具足し、能く衆生を度して常に慈愍を行じ、不殺戒をたもって自ら佛を致得し、亦た弟子に此の慈愍を行ずることを教ゆ。行者は大人の法を学ばんと欲するがゆえに亦當に不殺なるべし。
問曰く、「我れを侵さざる者には、殺心息むべし。若し侵害・強奪・逼迫を為さば、是れ当に云何がすべきや。」答曰く「應當に其の輕重をはかるべし。若し
人己を殺さば先ず自ら『戒をまっとうするの利重きか、身をまっとうするを重きとなすか。破戒を失と爲すや、喪身を失となすや』と思惟せよ。如是に思惟し、已に持戒を重しとなし、身をまっとうするを輕しとなす、と知る。若し苟しくも免れて身を全とうすとも身に何の得るところあらんや。是の身を名けて老病死藪となす。必ず當に壞敗す。若し持戒のために失身すれば其利は甚重なり。又復た思惟せよ。『我前後に身を失すること世世無數なり。或は惡賊禽獸之身となり、但だ財利のために諸不善事を為す。今乃ち淨戒を持することをなすことを得る故に、此身を惜まず命を捨てて持戒するは禁を毀って身を全うすることに勝ること、百千万倍にして、喩と為すべからず』と。是の如く心を定めて、応当に身を捨てて、以って浄戒を護るべし。
一須陀洹(預流に同じ。声聞の四果のなかの初果)の人の如きは、の家に生まれて、年、成人するに向かい、応当に其の家業を修むべきに、肯(あえ)て殺生せず。父母は刀と並びに一口の羊を与えて、屋中に閉著して、之に語りて言わく、『若し羊を殺さざれば、汝をして出でて日月を見ること、生活、飲食することを得しめざらん』、と。児、自ら思惟して言わく『我れ、若し此の一羊を殺さば、便ち当に終に、此れを業と為すべし。豈に身を以っての故に、此の大罪を為さんや』、と。便ち刀を以って自殺す。父母戸を開きて見るに羊のみ一面に在りて立ち、児は已に命絶へり。自殺の時に即ち天上に生ぜり。
若し、此の如き者を是れを寿命を惜まず浄戒を護るを全うすと為す。如是等の義を、是れ不殺生戒と名づく。