「愚迷発心集」に粛然と私の襟を正さしめる語がありました。
「滅罪生善の志、心と事と調はず、発心修行の計、内と外と共に乖けり(自分もまさにこれです)。
無益の語を囂(かしがまし)くすと云ども出世の事(俗世を離れた世界)をば論ずること無し。他人の短をば語ると云へども身の上の過を顧ず。
自人目(ひとめ)を慎むと云ども全く冥の照覧を忘ぬ。
(他人の評価は気にするが目に見えない世界からの評価は気にしない。「冥とは、暗いとか目にみえない意味で、人間を超えたもののこと。その視線がわが心にそそがれている―、それが、冥の照覧だ。多川俊映・興福寺貫首・法相宗管長)」
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