福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・24

2017-11-24 | 頂いた現実の霊験

・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・24
第七章
第六節、 弥勒菩薩。
五十六億七千万年後にこの娑婆世界に下生して吾等迷える衆生を救うというご誓願を立てられたのは弥勒菩薩である。三千年まえに釈迦如来は入滅せられ、五十六憶七千年までは程遠いことではある。吾々は二佛中間に生まれたもの云わなければならない。釈迦如来は当来の衆生教化のことは弥勒菩薩に依嘱せられたので弥勒菩薩は釈迦如来の後継者即ち補処である、乃ち弥勒菩薩を一生補処の菩薩とか、当来三会の菩薩ともいう。弥勒菩薩は中台八葉院には左手を胸に当てて開き、右手蓮上に宝瓶あるを持してござる。普通の像は法界定印とて膝のうえに左手を仰げ右手を重ねて左右の大指を柱しめ、その印の中に五輪塔を載せてござる。この五輪塔には釈迦如来の舎利があり、釈迦如来の後継者であることを表明せられておる。弥勒菩薩は浄土を兜率天に構えられている。この兜率天は阿弥陀如来の西方浄土と対して頗る勢力のあったもので、支那仏教は多くこの兜率浄土を楽うたものである。
大師もこの弥勒菩薩と契があって、御入定の時は弥勒三会下生の暁を待つ、と仰せられている。(大師二十五箇条の御遺告には
「・・後生の末世の弟子、祖師の恩を報進すべき縁起第十七
夫れ以(おもんみれ)ば東寺の座主大阿闍梨耶は,吾末世後生の弟子也。吾が滅度以後、弟子数千万あらんの間の長者なり。門徒数千万なりといへども、しかしながら吾が後世の弟子也。祖師吾が顔を見ずといへども心あらん者は必ず吾が名号を聞きて恩徳の由を知れ。(恩徳の由来を知れ)。是れ吾れ白屍のうえに更に人の労りを欲するに非ず。密教の寿命を護り継て竜華三庭を開かしむべき謀なり(弥勒菩薩が成道の折、竜華樹のもとに三回の集会をひらいて衆生を救済せんとするおもんばかりである)。吾閉眼の後には必ず方に兜率他天に往生して弥勒慈尊の御前に侍すべし。五十六億余年の後には必ず慈尊と御共に下生し、祇候して吾先跡を問ふべし。また且つは未だ下らずの間は、微雲管より見て、信否を察すべし。このときに勤めあらば祐を得ん。不信の者は不幸ならん。努力努力(ゆめゆめ)後に疎にすることなかれ・・・」とあります。)平安以前には弥勒菩薩に対する信仰も盛んで今でも国宝中に弥勒菩薩の像はなかなかに多い。胎蔵曼荼羅の中台八葉院には南北方に位置せられているが
蘇悉地院はこの弥勒菩薩の徳を開いた院である。

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