中臣祓抄
2014-02-20 | 法話
中臣祓抄「・・・人々一念不生のときは煩いなし、一念迷頭するときに八万四千の毛頭の根がむすほれて災いともなり病ともなる、神代の上に三輪明神の出でて病を治する方を定むるという、これすなわち祓のことなり、・・薬はわずかに一病をこそいやせ、祓にては十二の血脈の毛頭の根の乱れるところをはらりとはらうてのくるなり、・・凡そ本朝は三界の根源にして神明を以て元祖とするなり、神明は宇宙の宗苗なり、我が国開闢の始め、天地と共に神明現れ玉へり、故に國を神国といひ、道を神道といふなり、我日本、三国においてすぐれたる証拠は三国は三光の國なり、三光とは日と月と星なり、天竺をば月神の主りますゆえに月氏国という、唐は星の主りましますゆえに震旦といふ、吾国は日神のつかさどります故に日本といふ、月と星とは日の光の分附なり、日にまされる光はあるべからず、故に三国は我が国の末流なり、千界の源・万国の本は吾国なり、ことに小国たるが三国の始めたる証拠也。萬物皆始めは小さき者なり、・・・聖徳太子密奏していわく吾日本種子を生ず、震旦は枝葉、天竺は花実、故に仏教は萬法の花実となり、儒教は萬法の枝葉となり、神道は萬法の根源となる、かの三教は皆是神道の末葉なり・・もし儒教の枝葉なくば仏教の花実は現れるべからず、若し仏法の花実なくば神道の種子はあらわるべからず、若し神道の種子なくば仏法の花実も儒教の枝葉も顕れるべからず、しかれば仏法また神道より射いず、佛骨・四牙、みな吾国にとどまる、花落ちて根にかえるところなり、太子の密奏によりて佛教今に広まり、神明の内證また明らかばるものなり、・・」