(史料綜覧 巻七 / 永享四年(1432)五月)「七日・・・幕府 宝刀ノ紛失ニ依リテ 相国寺ヲシテ 祈祷ヲ行ハシム」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
「明徳記」「御所様(義満)其日の御装束は態と御小袖をばめされず、ふすべ革の御腹巻の中二通り黒皮にて威したるを召し同毛の五枚甲の緒をしめ、累代御重宝と聞へし篠作と云御佩刀に二銘と云御太刀二振そへてはかせ給ふ、薬研通しと云御腰の物をさゝせたもう云々」「幕府、寶刀の紛失に依りて、相國寺をして、祈祷を行はしむ」「永享四年五月四日御小袖間戸開之自久我殿故鹿苑院之時順被進之袖丸并サヽ作御太刀都合二振紛失、同七日朝見付之間、卽諸土蔵共御領明之處九日朝自土蔵ニ今砌出現稀代事也」