讃観世音菩薩頌和釈・・3/20
暴龍嘊咋
「暴龍哮吼放烟毒 嘊喍瞋怒厲惡色 將噬其人甚可怖 憶念觀音便解脱」
暴龍の咆哮して烟毒を吐き、瞋怒して嘊り咋ひて厲しき色をしてまさに其人を噬(か)まんとする気色なり。其の人甚怖をなし観音を憶念すれば便ち其の難を解脱すとなり。
天王寺の威光上人は唐僧にして観音の行者なり。來朝の砌海上にて大風の吹いて潮つきあがり舩を覆さんとす。威光上人は舳先に出て看る . . . 本文を読む
今日は後宇多法皇が宸筆を以て神護寺に大師御筆の八幡大菩薩像を返却された日です。以下「宸翰英華」等によります。僧形八幡大菩薩像は神護寺に安置されていたが平安末期に神護寺が荒廃した折、鳥羽上皇に献じられ天皇の勅願寺鳥羽勝光明院の宝蔵に収められていた。その後後鳥羽天皇の時代に東大寺手向山八幡の御神体にという議が持ち上がったが神護寺の文覚の申請で後宇多法皇は大師尊崇の念から神護寺に返還された。これはそのと . . . 本文を読む
今日正応五年1292十二月十日は後深草上皇が、天皇(後深草上皇の第二皇子・伏見天皇)に高麗の書状に激怒された宸翰を発せられた日。以下「宸翰英華」等に依ります。このご宸翰は後深草上皇が正応五年1292十二月十日、天皇(後深草上皇の第二皇子・伏見天皇)に宛てられた御消息。上皇は高麗の牒状をご覧の後、このご消息を附して天皇のお手元にお返し遊ばされた。元の国威を恃んで僭越にも我が国に対し服属を勧誘した高麗 . . . 本文を読む
(重要文化財)後宇多天皇宸筆御施入状後宇多天皇宸筆御施入状 (重要文化財・神護寺)「八幡大菩薩御体一鋪 右、多年勝光明院宝蔵に納めらる。而して往日の元由を尋ね、永く神護寺に安置する所也嘉元四年十二月十日」(宸翰英華)解説に「神護寺創立の初よりその金堂に安置せられてあった僧形八幡の霊像は大師の描かるところとして深く尊信せられてゐたが、平安末期に神護寺が荒廃した折に、鳥羽天皇に献上せられて天皇の勅願寺 . . . 本文を読む