毎朝行法時に祓詞を唱えています。これは求聞持以来の習慣です。古事記を読み直して以来、最近この祓詞が大変身近に感じられるようになりました。
「祓詞(はらへことば)
掛(かけ)まくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)へ給(たま)ひし時(とき)に成(な)りませる祓戸大神等(はらへどのおほかみたち)諸諸(もろもろ)の禍事罪穢有(まがごとつみけがれあ)らむをば祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を聞食(きこしめ)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)も白(まを)す」
です。
(訳・・口に出してお名前を申し上げるのも恐れ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓された時にお生まれになった祓戸大神等よ(祓戸大神とは、瀬織津比(せおりつひめ)、速開津比(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比(はやさすらひめ)。国土に生じた天津罪・国津罪を、天津神・国津神が祓い清められ、その罪を速川の瀬にいる瀬織津比が大海に持ち出し、瀬の流れが出会うあたりにいる速開津比が罪をがぶがぶと飲んでしまい、さらに気吹戸主が根国・底国に息で吹いてしまい、速佐須良比が持ちさすらい失ってしまう。)
、もし諸諸の禍事や罪穢れがあるならば、お祓い下さいお清め下さいと申し上げる事をお聞き届けくださいと恐れ多くも申し上げます。)
「祓詞(はらへことば)
掛(かけ)まくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)へ給(たま)ひし時(とき)に成(な)りませる祓戸大神等(はらへどのおほかみたち)諸諸(もろもろ)の禍事罪穢有(まがごとつみけがれあ)らむをば祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を聞食(きこしめ)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)も白(まを)す」
です。
(訳・・口に出してお名前を申し上げるのも恐れ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓された時にお生まれになった祓戸大神等よ(祓戸大神とは、瀬織津比(せおりつひめ)、速開津比(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比(はやさすらひめ)。国土に生じた天津罪・国津罪を、天津神・国津神が祓い清められ、その罪を速川の瀬にいる瀬織津比が大海に持ち出し、瀬の流れが出会うあたりにいる速開津比が罪をがぶがぶと飲んでしまい、さらに気吹戸主が根国・底国に息で吹いてしまい、速佐須良比が持ちさすらい失ってしまう。)
、もし諸諸の禍事や罪穢れがあるならば、お祓い下さいお清め下さいと申し上げる事をお聞き届けくださいと恐れ多くも申し上げます。)