遍路道の途中にある州崎寺は大同年間にお大師様の創建といわれていますがこの寺の戸板に佐藤継信の亡骸をのせて運んだとされており源平旧跡という旗が建っています。
この近くにはこの継信の首を取ろうとして討ち死にした若武者菊王丸の墓もあります。 平家物語によれば次の壇ノ浦では菊王丸の主君能登守も源氏の武将を両脇に挟み 「「さらばおのれら死途の山のともせよ」とて生年二十六にて海へつっとぞいりたまふ」(平家物語十一)とあります。
またこのあと「新中納言(平知盛)「見るべき程のことは見つ。いまは自害せん」とて・・海へと入りにける。」と書かれています。 古典の世界ですが凄惨です。歩きながら光明真言をとなえ源平の死者の霊をともらいました。
しかし時の流れは凄惨な光景を昇華させ「船弁慶」「敦盛」などの多くの謡曲や歌舞伎になっています。こういう時の亡霊役は能舞台の「橋掛り」から出てきますが、橋掛かりはあの世とこの世を結ぶところとされています。
しかし遍路にとって遍路道は橋掛りよりはるかに生々しく千年など昨日のようにあの世とこの世をつなぎます。
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この近くにはこの継信の首を取ろうとして討ち死にした若武者菊王丸の墓もあります。 平家物語によれば次の壇ノ浦では菊王丸の主君能登守も源氏の武将を両脇に挟み 「「さらばおのれら死途の山のともせよ」とて生年二十六にて海へつっとぞいりたまふ」(平家物語十一)とあります。
またこのあと「新中納言(平知盛)「見るべき程のことは見つ。いまは自害せん」とて・・海へと入りにける。」と書かれています。 古典の世界ですが凄惨です。歩きながら光明真言をとなえ源平の死者の霊をともらいました。
しかし時の流れは凄惨な光景を昇華させ「船弁慶」「敦盛」などの多くの謡曲や歌舞伎になっています。こういう時の亡霊役は能舞台の「橋掛り」から出てきますが、橋掛かりはあの世とこの世を結ぶところとされています。
しかし遍路にとって遍路道は橋掛りよりはるかに生々しく千年など昨日のようにあの世とこの世をつなぎます。
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