福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「シュタイナー死者の書」から

2012-06-18 | 法話
夭折した魂

不慮の災難によって死ぬべきでない時期にこの世を去った人人がいます。たとえば若くして列車に轢かれて死んだ人の体内にはもっとこの世で長く働くことができたはずの力が残っています。そのひとが物質界から去るときこの力は無の中へ消えてしまうのではありません。不思議なことに知的な力がまさにこのような事件を契機として強められるのです。不慮の事故に遭った人は力強い知性の力に恵まれて生まれ変わってきます。・・・病気などにより多くの苦しみを経験した人は意志の力が強められます。・・・

不幸の意味

(われわれの地上の人生体験は我々自身があらかじめ用意しておいたものです。)私たちが生まれる以前に不幸になろうとする衝動を自分の魂の中に植え込んだので私たちは今、不幸な目にあっているのです。ある植物は高山にしか育ちません。そのように人間の魂も自分にあった環境を捜し求め、そして運命に向かって生きていくのです。高山植物にとってアルプスで生長するのが当然の運命であるように、人間の魂にとっては不幸に陥るのが当然の運命なのです。なぜならそれによって以前の地上生活に由来する不完全さが清算できるのだからです。・・霊界での私たちはまったく異なる観点に立ち、前世の清算をするために新しい人生において必要な体験をしなければならないと思っています。ですから私たちは後になって物質的な観点だけから考察して、当然嘆くことになるような人生を自分で用意するのです。・・・ゲーテは地上生活が超地上的な不滅の存在によって照らし出されていなければ現在の人生の価値が失われてしまう、ということをもよく理解していました。死すべき存在の真の内的本性が不死なるものに基礎付けられているという認識はゲーテのこの言葉によって要約されています。「(別の人生のことなど全く考えようとしない人に対して『私は云いたい』『別の人生をねがわない人はすべてこの世の人生においても死んでいるのだ。」
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