角田さんが「蝸牛歩御詠歌修得奮闘記」を作ってくださいました。
「蝸牛歩御詠歌修得奮闘記(2)
11月30日、午前10時、高尾山(東京・八王子)薬王院不動院で、恒例の高尾山御詠歌講習会が開催されました。高尾山薬王院での講習会は、半年ごとに、春秋、年二回行われます。智積院(京都)密厳流遍照講本部の、恒例、全国御詠歌巡回講習の一環として行われるもので、講習の師範の講師も、本部の幹部クラスの師範の先生が、来山して行われます。今回は、高尾山には、すっかり、お馴染みで、信州・松本で、住職をされている、中島宥栄僧正様が、師範をして頂きました。
今回の、講習の御詠歌の題目は、光明真言和讃と「五色光」で、中島先生の力強く懇切丁寧なご指導で大変勉強に、なりました。
中島先生は御年、80歳ですが、ハリと勢いのある声はとても80歳とは思えません。光明真言和讃を、何度もお手本に詠唱され、
部分部分を、繰り返しお唱えして、教えて頂きます。途中に、法話を交えたり、私たちの緊張を、和らげたりして頂きます。
中島先生の御詠歌をお聞きしていると、本当に、仏様が、詠唱されておられるような、気持ちになります。私たちの御詠歌も、この領域に達しないと「本物」ではないのですねと感心するばかりで、自分がお唱えする、曲が、まともでないことが、解かり、切なくなります。が、ここは辛抱、忍耐強く、唱えこなせるようにならなければならないのです。中島先生もそんな私たちを、何度も何回も、叱咤激励して丁寧に、教えて頂きます。
こうして、午後12時の1時間の休憩時間をはさみ、午後3時まで、講習が、進められます。御詠歌の講習は、普通の歌曲の練習とは違い独得の雰囲気があります。御詠歌の曲目が仏様に捧げる意味を持っていることと、今自分が仏様の心を読み詠んでいるという非常に厳かな感覚を感じさせることからでしょう。
御詠歌の講習を始める前に、「勤行式」を行います。これは、平素のお稽古の時も、同じです。また、お稽古を終えた後も、「勤行式」を行います。勤行式には、懺悔文・三帰礼文・十善戒・発菩提心真言・三昧耶戒真言・開経文・般若心経・光明真言。この後、選んだ御詠歌を奉唱します。そして、宝号・普廻向の順で行います。
御詠歌の稽古というのは、ただの稽古でなく、仏教の修行でもあるのです。仏様の心になって唱えることが、出来るように、練習する訳です。そして、御詠歌の心について、密厳流遍照講名誉師範・相川孝巠先生のお言葉をご紹介します。
「御詠歌(和讃)は、声と鈴鉦の響きを一定のリズムに乗せてお唱えします。①亡き人への廻向②仏の教えに触れて生き方を学び実践していく③生かされていることへの感謝④希望や願いを仏さまに聞いていただく⑤仏さまに出会い,仏さまと共に歩みゆく⑥信仰の仲間と共に自己を高揚させる⑦お釈迦さまや祖師の教えに学ぶ等、それぞれの思いに祈りを込めて唱えるのです。
発声について①声はやさしく穏やかに②聞く人の心に仏の教えが沁みこんでいくように③調和のとれた和らいだ声で④声がはっきりとしていて迷いがないことなど、それぞれの思いに祈りを込めて唱えるのです。
御詠歌は、一、からだ 二、唱えること
ば 三、自分のこころ を一つにさせて仏さまに唱えます。
鈴を鳴らし。鉦を撞木で打つその一連の動作すべてがからだの表現で、口に御詠歌を唱え、心にご本尊さまを思い浮かべ、からだで鈴鉦を鳴らして生きる喜びを表します。そして密厳流の御詠歌を唱えるそれこそが仏さまと一体となる喜びなのであります。(平成30年3月31日発行・遍照講々報第109号より)」
私は毎朝、仏さまに祈りを捧げているのですが、祈りの中に、御詠歌をお唱えしています。私の御詠歌は、まだまだ、未熟で、自分でも、納得できない代物なのですが、それでも、今の段階では、どうすることもできません。ただ、一心に、お唱えするだけです。確かに、お経を読誦し、祈るだけと違った、精神作用があります。和讃の曲目は、一曲当たり、平均2~4人分ぐらいの曲目が多いので、数曲を選んでは、お唱えしています。時間にして、15分間ぐらいです。が、これから、お唱えすることが、上達すれば、もっと、お唱えする時間を延長するようにしたいと思っています。御詠歌は、知れば知るほど、奥の深い詠歌だと思います。単に、口ずさむ、歌曲ではなく、謡曲と肩を並べる古代から続けられている、伝統芸能・芸術だと思います。
場合によっては、謡曲よりも、曲の節ずけが、難しいかも知れません。御詠歌は、仏 と、こころを、通わす、方便の一つであるのかも知れないのです。そしてまた、信心の精神状態を生き生きとした、霊感を甦す方便とする働きも出て来る思いがするのです。信心を深める手段として、瞑想が用いられ、それに、御詠歌を加える。霊妙極まる、世界が造出されるのではないでしょうか。
高原講元様が導師となって、毎月、第三土曜日に、東京・文京の護国寺で,行っている巡拝行は、勤行式・瞑想、そして、目下のところ、私が、御詠歌を、詠唱して、お手伝いさせて頂いています。信心深くなれるようなプログラムになっているかもしれません
「光明真言和讃
金剛不壊のよりどころ 大悲大日蘆遮那尊
あふるる五智の光明は 遍く照らす法の色
光明真言唱うれば 迷いも罪もぬぐわれて
この世もあの世もへだてなく 生きぬく力さずからん
詠歌 五色光 光明真言の御詠歌
ひたすらに 唱うる功徳 あまねきて
闇夜を照らす 五智の光明
闇夜を照らす 五智の光明」
「蝸牛歩御詠歌修得奮闘記(2)
11月30日、午前10時、高尾山(東京・八王子)薬王院不動院で、恒例の高尾山御詠歌講習会が開催されました。高尾山薬王院での講習会は、半年ごとに、春秋、年二回行われます。智積院(京都)密厳流遍照講本部の、恒例、全国御詠歌巡回講習の一環として行われるもので、講習の師範の講師も、本部の幹部クラスの師範の先生が、来山して行われます。今回は、高尾山には、すっかり、お馴染みで、信州・松本で、住職をされている、中島宥栄僧正様が、師範をして頂きました。
今回の、講習の御詠歌の題目は、光明真言和讃と「五色光」で、中島先生の力強く懇切丁寧なご指導で大変勉強に、なりました。
中島先生は御年、80歳ですが、ハリと勢いのある声はとても80歳とは思えません。光明真言和讃を、何度もお手本に詠唱され、
部分部分を、繰り返しお唱えして、教えて頂きます。途中に、法話を交えたり、私たちの緊張を、和らげたりして頂きます。
中島先生の御詠歌をお聞きしていると、本当に、仏様が、詠唱されておられるような、気持ちになります。私たちの御詠歌も、この領域に達しないと「本物」ではないのですねと感心するばかりで、自分がお唱えする、曲が、まともでないことが、解かり、切なくなります。が、ここは辛抱、忍耐強く、唱えこなせるようにならなければならないのです。中島先生もそんな私たちを、何度も何回も、叱咤激励して丁寧に、教えて頂きます。
こうして、午後12時の1時間の休憩時間をはさみ、午後3時まで、講習が、進められます。御詠歌の講習は、普通の歌曲の練習とは違い独得の雰囲気があります。御詠歌の曲目が仏様に捧げる意味を持っていることと、今自分が仏様の心を読み詠んでいるという非常に厳かな感覚を感じさせることからでしょう。
御詠歌の講習を始める前に、「勤行式」を行います。これは、平素のお稽古の時も、同じです。また、お稽古を終えた後も、「勤行式」を行います。勤行式には、懺悔文・三帰礼文・十善戒・発菩提心真言・三昧耶戒真言・開経文・般若心経・光明真言。この後、選んだ御詠歌を奉唱します。そして、宝号・普廻向の順で行います。
御詠歌の稽古というのは、ただの稽古でなく、仏教の修行でもあるのです。仏様の心になって唱えることが、出来るように、練習する訳です。そして、御詠歌の心について、密厳流遍照講名誉師範・相川孝巠先生のお言葉をご紹介します。
「御詠歌(和讃)は、声と鈴鉦の響きを一定のリズムに乗せてお唱えします。①亡き人への廻向②仏の教えに触れて生き方を学び実践していく③生かされていることへの感謝④希望や願いを仏さまに聞いていただく⑤仏さまに出会い,仏さまと共に歩みゆく⑥信仰の仲間と共に自己を高揚させる⑦お釈迦さまや祖師の教えに学ぶ等、それぞれの思いに祈りを込めて唱えるのです。
発声について①声はやさしく穏やかに②聞く人の心に仏の教えが沁みこんでいくように③調和のとれた和らいだ声で④声がはっきりとしていて迷いがないことなど、それぞれの思いに祈りを込めて唱えるのです。
御詠歌は、一、からだ 二、唱えること
ば 三、自分のこころ を一つにさせて仏さまに唱えます。
鈴を鳴らし。鉦を撞木で打つその一連の動作すべてがからだの表現で、口に御詠歌を唱え、心にご本尊さまを思い浮かべ、からだで鈴鉦を鳴らして生きる喜びを表します。そして密厳流の御詠歌を唱えるそれこそが仏さまと一体となる喜びなのであります。(平成30年3月31日発行・遍照講々報第109号より)」
私は毎朝、仏さまに祈りを捧げているのですが、祈りの中に、御詠歌をお唱えしています。私の御詠歌は、まだまだ、未熟で、自分でも、納得できない代物なのですが、それでも、今の段階では、どうすることもできません。ただ、一心に、お唱えするだけです。確かに、お経を読誦し、祈るだけと違った、精神作用があります。和讃の曲目は、一曲当たり、平均2~4人分ぐらいの曲目が多いので、数曲を選んでは、お唱えしています。時間にして、15分間ぐらいです。が、これから、お唱えすることが、上達すれば、もっと、お唱えする時間を延長するようにしたいと思っています。御詠歌は、知れば知るほど、奥の深い詠歌だと思います。単に、口ずさむ、歌曲ではなく、謡曲と肩を並べる古代から続けられている、伝統芸能・芸術だと思います。
場合によっては、謡曲よりも、曲の節ずけが、難しいかも知れません。御詠歌は、仏 と、こころを、通わす、方便の一つであるのかも知れないのです。そしてまた、信心の精神状態を生き生きとした、霊感を甦す方便とする働きも出て来る思いがするのです。信心を深める手段として、瞑想が用いられ、それに、御詠歌を加える。霊妙極まる、世界が造出されるのではないでしょうか。
高原講元様が導師となって、毎月、第三土曜日に、東京・文京の護国寺で,行っている巡拝行は、勤行式・瞑想、そして、目下のところ、私が、御詠歌を、詠唱して、お手伝いさせて頂いています。信心深くなれるようなプログラムになっているかもしれません
「光明真言和讃
金剛不壊のよりどころ 大悲大日蘆遮那尊
あふるる五智の光明は 遍く照らす法の色
光明真言唱うれば 迷いも罪もぬぐわれて
この世もあの世もへだてなく 生きぬく力さずからん
詠歌 五色光 光明真言の御詠歌
ひたすらに 唱うる功徳 あまねきて
闇夜を照らす 五智の光明
闇夜を照らす 五智の光明」