先日浅井覚超先生の講伝録を読み返していると覚鑁上人や慈雲尊者、釈雲照師の求聞持行のことがでてきました。1回目にこれらの方のことも書きましたが修正します。ノートには大要次にごときことが書いてありました。
「覚鑁上人は生涯求聞持行を九度修せられこの体験から一密成仏の教えが出てきたのではないか。また慈雲尊者は二十一度成満され、釈雲照師は十回高野山奥の院で行じられまた行く先々でも修せられている。」
「覚鑁上人は生涯求聞持行を九度修せられこの体験から一密成仏の教えが出てきたのではないか。また慈雲尊者は二十一度成満され、釈雲照師は十回高野山奥の院で行じられまた行く先々でも修せられている。」