お大師様の「秘密曼荼羅十住心論」に三帰と十善戒等の関係について書かれてありました。それによれば三帰(帰依佛、帰依法、帰依僧)からすべてが生まれるということでした。
福聚講のおまいりでも三帰(この身今生より未来際をつくすまで深く三宝に帰依し
たてまつる。弟子某甲 盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧 )を飛ばして次の十善戒をお唱えしたりしていましたが以後三帰依文から順番におとなえすることとします。
お大師様の 「秘密曼荼羅十住心論」巻二の文です
「三帰五戒八禁(五戒とは不殺生,不偸盗 ,不邪淫 ,不妄語,不飲酒。八禁とは五戒に不坐臥高広大床戒 ,不著香華瓔珞香油塗身戒 (+不作唱技楽故往観聴戒 )、不過中食戒 を加えたもの)の頌
嬰児の母あらず 犢子の所依なきは
必ず死せんこと 疑慮なし 犲狼ことごとく走り帰むく
衆生仏に帰せざれば 魔鬼總て来て囲む(佛に帰依しなければすべての魔が取り囲む)
己を剋めて三寶に投ずれば 諸天敢て違せず
五常持ち犯さざれば 来葉に美名を飛ばす(仁・義・礼・智・信をまもれば来世に栄達する)
八禁能く修習すれば 人天に光輝を作す(不殺生,不偸盗 ,不邪淫 ,不妄語,不飲酒、不坐臥高広大床 ,不著香華瓔珞香油塗身 (+不作唱技楽故往観聴 )、不過中食をまもれば末代には威光在る家に生まれる)
三途なんぞかならずしも怖れむ 諸佛は毎に威を加へたまふ
昇墜は他の意にあらず 栄衰は我が是非なり(栄衰は自分で招くところである)
持斎の心は必ず三帰を求めて修す。五戒八戒十善はこれより相続して修行す。・・三帰は勤めて邪を捨てしむ、五戒はその行悪を防ぐ、十善はそれをして貴をまねかしむ、六斎はそれをして樂を得しむ。・・・」
福聚講のおまいりでも三帰(この身今生より未来際をつくすまで深く三宝に帰依し
たてまつる。弟子某甲 盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧 )を飛ばして次の十善戒をお唱えしたりしていましたが以後三帰依文から順番におとなえすることとします。
お大師様の 「秘密曼荼羅十住心論」巻二の文です
「三帰五戒八禁(五戒とは不殺生,不偸盗 ,不邪淫 ,不妄語,不飲酒。八禁とは五戒に不坐臥高広大床戒 ,不著香華瓔珞香油塗身戒 (+不作唱技楽故往観聴戒 )、不過中食戒 を加えたもの)の頌
嬰児の母あらず 犢子の所依なきは
必ず死せんこと 疑慮なし 犲狼ことごとく走り帰むく
衆生仏に帰せざれば 魔鬼總て来て囲む(佛に帰依しなければすべての魔が取り囲む)
己を剋めて三寶に投ずれば 諸天敢て違せず
五常持ち犯さざれば 来葉に美名を飛ばす(仁・義・礼・智・信をまもれば来世に栄達する)
八禁能く修習すれば 人天に光輝を作す(不殺生,不偸盗 ,不邪淫 ,不妄語,不飲酒、不坐臥高広大床 ,不著香華瓔珞香油塗身 (+不作唱技楽故往観聴 )、不過中食をまもれば末代には威光在る家に生まれる)
三途なんぞかならずしも怖れむ 諸佛は毎に威を加へたまふ
昇墜は他の意にあらず 栄衰は我が是非なり(栄衰は自分で招くところである)
持斎の心は必ず三帰を求めて修す。五戒八戒十善はこれより相続して修行す。・・三帰は勤めて邪を捨てしむ、五戒はその行悪を防ぐ、十善はそれをして貴をまねかしむ、六斎はそれをして樂を得しむ。・・・」