除夜の鐘について
31日は日本国中のお寺で除夜の鐘が撞かれます。これは宋代にはじまったとされます。日本では鎌倉時代以降、特に禅宗の寺院で中国の寺院にならい朝暮の2回、108の鐘を撞くようになり、やがて室町時代の頃から大晦日の夜だけ撞かれるようになったものといわれています。
お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集)の中で「一打鐘聲當願衆生脱三界苦得見菩提」と、「鐘をひとつ打つごとに、生きとし生けるものが欲界・色界・無色界のすべての苦しみから解脱し、安らかな悟りの境地を得ることを願え」と示されていいます。
鐘をつくときは僧侶は
「洪鐘晨響群生を覚す、声は十方無量土に遍く、含識群生普く聞知し、有情長夜の苦を抜除す」と唱えます。
鐘の音を聞くときは
「願わくはこの声法界を超え、鉄囲幽冥悉くみな聞き、三塗苦を離れ刀輪を罷れ、
一切衆生正覚を成ぜんことを」と唱えます。
要は鐘の音は聞くものの苦を抜き覚りに導くということです。
百八は百八煩悩を滅するという意味です。
この意味は様々な説があります。とりあえずそのうちの2説です。
①「人間の感覚をつかさどる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に、色・声・香・味・触・法の六塵の刺激があると、それぞれ好・悪・平の三種、あわせて十八の煩悩が生じる。これが浄・染の二種にわかれて三六種、さらに、過去・現在・未来の三つに配されて合計百八種とされる。」
②大智度論では「十纒九十八結爲百八煩惱」とあります。(煩悩は大きく6つの根本煩悩(①貪 ②瞋 ③慢 ④無明 ⑤見 ⑥疑)にわかれ、 ⑤の「見」はさらに、有身見・邊執見・邪見・見取見・戒禁取見の五つに分類され、①貪 ②瞋 ③慢 ④無明 ⑥疑と合わせて、十煩悩(十隋眠)と言われます。
さらに、これを88に分け、修惑の十種と合わせて、九十八隋眠(結)と呼ばれています。
その98に、十纏(じってん:無慚、無愧、嫉、慳、悪作、睡眠、掉擧、昏沈、忿、覆)を合わせたものを百八煩悩とします。)
31日は日本国中のお寺で除夜の鐘が撞かれます。これは宋代にはじまったとされます。日本では鎌倉時代以降、特に禅宗の寺院で中国の寺院にならい朝暮の2回、108の鐘を撞くようになり、やがて室町時代の頃から大晦日の夜だけ撞かれるようになったものといわれています。
お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集)の中で「一打鐘聲當願衆生脱三界苦得見菩提」と、「鐘をひとつ打つごとに、生きとし生けるものが欲界・色界・無色界のすべての苦しみから解脱し、安らかな悟りの境地を得ることを願え」と示されていいます。
鐘をつくときは僧侶は
「洪鐘晨響群生を覚す、声は十方無量土に遍く、含識群生普く聞知し、有情長夜の苦を抜除す」と唱えます。
鐘の音を聞くときは
「願わくはこの声法界を超え、鉄囲幽冥悉くみな聞き、三塗苦を離れ刀輪を罷れ、
一切衆生正覚を成ぜんことを」と唱えます。
要は鐘の音は聞くものの苦を抜き覚りに導くということです。
百八は百八煩悩を滅するという意味です。
この意味は様々な説があります。とりあえずそのうちの2説です。
①「人間の感覚をつかさどる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に、色・声・香・味・触・法の六塵の刺激があると、それぞれ好・悪・平の三種、あわせて十八の煩悩が生じる。これが浄・染の二種にわかれて三六種、さらに、過去・現在・未来の三つに配されて合計百八種とされる。」
②大智度論では「十纒九十八結爲百八煩惱」とあります。(煩悩は大きく6つの根本煩悩(①貪 ②瞋 ③慢 ④無明 ⑤見 ⑥疑)にわかれ、 ⑤の「見」はさらに、有身見・邊執見・邪見・見取見・戒禁取見の五つに分類され、①貪 ②瞋 ③慢 ④無明 ⑥疑と合わせて、十煩悩(十隋眠)と言われます。
さらに、これを88に分け、修惑の十種と合わせて、九十八隋眠(結)と呼ばれています。
その98に、十纏(じってん:無慚、無愧、嫉、慳、悪作、睡眠、掉擧、昏沈、忿、覆)を合わせたものを百八煩悩とします。)