福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その64

2019-11-04 | 十善戒
今且く世教に比對して大道を云べし。有智の人、我執を離れ心を平にして看よ。崇明教等の説に依に。前の不殺生は仁に配し。此不偸盗を義に配し。不邪淫は禮に配し。不妄語は信に配し。不飲酒を智に配す。此十善の中は飲酒を制せざる故。今義に依て不邪見を智に配するじゃ。此中不殺生戒を仁に配するも的當ではない。仁と云は。支那國上代の教で。今千載の後は其字義すら解し難い。或者は愛の理・心の徳と。むつかしく説出す。或者は唯愛なりと心易く説示す。又或者は王者の人民を治るに名を得と云。唐朝の韓愈は。道と徳とは虚き位。仁と義とは定れる名と云。戦國の時の荘周は盗跖も此仁義を用ふると云。韓非子などは。仁と義とは虚文にて名分のみ正きと云。所詮只書生の類が唯書物の上にて。我好む所に随て色々に判断してみるまでのことじゃ。古今上下・貴賎男女・智愚賢不肖に推通じて。身に行はせ心に得させらるゝ道でない。

しかし『秘蔵宝鑰・第二愚童持斎心』には以下のように五常五戒をそのまま肯定されています。「五常漸く習ひ、十善鑽仰す。五常といっぱ仁義礼智信なり。仁をば不殺等に名づく、己を おもんぱかって物に施す。義は則ち不盗等なり、積んで能く施す。礼は曰く不邪等なり、五礼序あり。智は是れ不乱等なり、審に決して能く理 ことわる。信は不妄の称なり、言って必ず行ず。
能く此の五を行ずるときは、則ち四序玉燭(四季順調)し、五才金鏡(木火土金水が金鏡のように順調にめぐる)なり。国これを行へばすなわち天下昇平なり。家にこれを行へばすなわち路に遺れたるを拾わず。名をあげ先を顕すの妙術、国を保ち身を安んずるの美風なり。外には五常と号し、内には五戒と名づく。名異にして義融じ、行同じうして益別なり。断悪修善の基漸(基本)脱苦得楽の濫觴なり。・・」
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