今朝修法していて四無量心の「心もとより不生なり」という観想で、「そうだDNAが無始以来の先祖の遺伝子の集積であるように、心も無始以来の先祖の心の集積であるから、先祖供養をするということは自分の心と体を供養するということでもある」と思いつきました。本来「心もとより不生なり」というのはもっと大変なことを示唆しているのですがとりあえず俗物たる自分にはこういうレベルの気付が実感を持つのでした。
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