今日は中将姫遷化の日です。中将姫は古今著聞集によると寳龜六年4月4日に遷化されたことになっています。(3月14日とするものの方が多いですが)
以下古今著聞集です。
古今著聞集[三六] 當麻の寺は推古天皇の御宇、聖德太子の御すゝめによりて麻呂子親王(母葛城直磐村女広子)の建立し給へる也。萬法藏院と號して則御願寺になずらへ准へられにけり。建立の後六十一年をへて親王夢想によりて、本の伽藍の地を改めて役の行者練行の地にうつされにけり。金堂の丈六の彌勒の御身の中に金銅一攦(𢷡ちやく、または搩ちやくという)手半の孔雀明王像一體をこめ奉る。此像は行者の多年の本尊也。又行者祈願力によりて、百濟國より四天王の像とび來り給ひて金堂におはします。堂前にひとつの靈石あり。むかし行者孔雀明王の法を勤修の時、一言主明神きたりて此石に座し給へり。天武天皇の御宇白鳳十四年に高麗國の惠觀僧正を導師として供養をとげらる。其日天衆降臨しさまざまの瑞相あり。行者金峯山より法會の塲に來りて私領の山林田畠等數百町を施入せられけり。曼荼羅の出現は當寺建立の後百五十二年をへて大炊天皇おほゐのみかど(淳仁天皇。淡路廢帝)の御時横佩の大臣(藤原豐成)といふ賢智の臣侍りけり。かの大臣に寵愛の女(中将姫・継母に虐待され日張山に閑居した後(この時『中将姫山居語』を作る。注1)、白狐が運んできた『称讃浄土経』を1000巻写経)
あり。其性いさぎよくして、ひとへに人間の榮耀をかろしめて、たゞ山林幽閑をしのび、つゐに當寺の蘭若をしめて彌陀の淨刹をのぞむ。天平寳字七年(763)六月十五日蒼美をおとして(名僧・実雅法印を導師として尼僧・「法如」となる)いよいよ徃生淨土のつとめ念ごろ也。誓願を起していはく、我もし生身の彌陀を見奉らずは、ながく伽藍の門圃を出じと。七日祈念の間、同月廿日酉の刻に、一人の比丘尼忽然として來ていはく、汝九品の敎主を見奉らんと思はゞ百駄の蓮莖をまうくべし。佛種縁よりしやうずる故也といふ。本願の禪尼歡喜身に餘りて、化人の告を注して公家に奏聞す。叡感をたれて宣旨を下されにけり。忍海(おしみの 連むらじ)勅命を奉て近國の内に蓮の莖をもよほしめぐらすに、わづかに一兩日の程に九十餘駄出來にけり。化人みづから蓮のくきをもて糸をくり出す。糸すでに調とゝのほりて始て淸き井をほるに水出て、糸をそむるに其いろ五色也。皆人差嘆せずといふ事なし。同廿三日夕又化人の女忽に來て、化尼に糸すでに調れりやといふ。則とゝのへる由を答ふ。その時かの糸を此化女にさづけ給ふ。女人藁二把を油二升にひたして灯火として、此道塲の乾のすみにして、戌の終より寅の始に至迄に壹丈五尺の曼陀羅を織あらはして、一よ節竹を軸にしてさゝげもちて、化尼と願主との中にかけ奉て、かの女人はかきけすごとくにうせて行方をしらず成ぬ。其曼陀羅のやう丹靑いろをまじへて金玉の光をあらそふ。南のはしは一經敎起の序分、北のはしは三昧正受の旨歸、下のかたは上中下品來迎の儀、中臺は四十八願莊嚴の地也。これ觀經(觀無量壽經)一部の誠文、釋尊詔諦の金言也。(阿弥陀浄土図の左右縁と下縁との3辺に区画を設け,左辺(南)に観無量寿経の序文説話・王舎城の悲劇を描き,右辺(北)に十六観のうちの前十三観(釈迦が韋提希に対して説いた十三観法),下辺に九品往生観、中央は阿弥陀浄土図を描く。これが、当麻曼荼羅と言われるもので、これはまさしく観経浄土変相ともいうべきもの)化尼かさねて四句の偈をつくりてしめしていはく、
往昔、迦葉説法の所 今來法起して佛事をなす
西方に響懇する故に我來す 一たび是塲に入れば永く苦を離る云々(「 往昔迦葉説法処 仏事新起又有故 感君懇志我来此 一至是場永離苦 」は当麻曼荼羅供式にそのまま取り入れられている)
本願の尼、宿願の力により未曾有なる事をみる。化人の告によりて不思儀のことばを聞て問て云、「そもそもわが善知識はいづれの所より誰人の來り給へるぞ」。答て云、「われはこれ極樂世界の敎主也。織姫はわが左のわきの弟子觀世音也。本願をもての故に來て汝が心を安慰する也。ふかく件の恩を知りてよろしく報謝すべし」と、再三つぐる事ねんごろ也。其後比丘尼西をさして雲に入てさり給ぬ。(「我は西方浄土の教主阿弥陀如来、先の化女はわが左脇の観音菩薩である。 」)
本願禪尼宿望すでにとげぬる事をよろこぶといへ共戀慕のやすみがたきにたへず。禪客去跡無く落日空に向ひ、涙を流し德音留て忘れず、只變像を仰ぎて消魂す。その後廿四年をへて寳龜六年(775)四月四日宿願にまかせてつゐに聖衆の來迎にあづかる。其間の瑞相くはしくしるすにおよばず。
(注1『中将姫山居語』一、男女の境界なければ愛着の心もなし。 一、深山に人通わせざれば勤行欠く事なし。 一、我小家を持たざれば造作の思もなし。 一、貧窮無福の身なれば盗賊の思もなし。 一、木食草衣の身なれば諸人に煩をえず。 一、朝夕にともしびなければ己心の月を灯とす。 一、念仏の行者なれば経教の望なし。 一、我身より仏み出せば絵木仏の望なし。 一、西方遠しといえども行ずれば目の前に来迎す。 一、迷えば三途に流転す悟れば三世の臺なり。)
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