実の如く自心を知るこれを仏と名ずく。実の如く自心を知らざるこれを凡夫と名ずく。凡夫は自心の本不生を知らざるがゆえに生死の無明の家に生まれて貪瞋癡の煩悩を起こして五逆十悪業等を造りて生死の苦果を招くなり。迷悟は一切衆生の面々の上にあれば無始以来の無明の迷執、自然にきえうせて、無始以来自然の本覚の智の悟り現れるようにと、常に吾が自心の常住の三宝にたいして諸々の福智の善根を随喜し、無始以来の罪業を懺悔し、偏に三密の法を信じて自心と菩提と衆生とこの三無差別の観に往すべし。
・・・仏事の座等には光明真言の義等を聴聞すべきなり、かくのごとくするときは精霊の回向にもなり、かつ自らの善根も精進するなり。
・・・仏事の座等には光明真言の義等を聴聞すべきなり、かくのごとくするときは精霊の回向にもなり、かつ自らの善根も精進するなり。