福聚講

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四国八十八所の霊験・・・その3

2018-10-03 | 四国八十八所の霊験
その3 遍路の後、多く受けた質問と答え
遍路の後、多く受けた質問と答えを書きます。

Q、四国の88箇所はどういうところですか?
A、 
頼富本宏「四国遍路とはなにか」等を参考に以下に書いていきます。
四国の88箇所は、四国4県に散在する奈良平安からの古いお寺88寺、距離にして1400キロを阿波・土佐・伊予・讃岐の順に大日経にいう発心、修行、菩提、涅槃の道場にみたてて巡拝するというものです。(大日経疏第一には「真実の言葉を門戸として自分の心に悟りを求める心を発し(発心)、心に即してあらゆる善の行為を備え(修行)、心に悟りを見(菩提)、心に偉大なる静まりの世界を証し(涅槃)真言を門として、自心に菩提心を発し、即心に万行を具し、心い正等覚を見、心に大涅槃を証し、・・(大日経疏第一)」とあります。なお頼富本宏「四国遍路とはなにか」によれば88という数字が初めて表れたのは17世紀の「説教かるかや」にまで時代が下ると考証されていますが・・。
古事記の国生みの神話で「(いざなぎといざなみが御合いまして生みたまえる子は、)淡道之穗之狹別嶋 。次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四毎面有名。故伊豫國謂愛(上)比賣
讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣 。土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別。次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐
日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。熊曾國謂建日別。 次伊岐嶋。亦名謂天比登都柱次生津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生佐度嶋。次生大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生。謂大八嶋國。然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。・・・」とあり 四国は淡路島についで二番目に古く生まれています。宮崎忍勝「神話と遍路」によれば日本書紀で日本武尊は死んで白鳥になって大和、河内に飛んでいったとされますが更に飛んで、讃岐大内郡松原のいまの白鳥神社に舞い降りたとされるいいつたえがあるということです。(日本書紀「仍葬於伊勢國能褒野陵。時日本武尊化白鳥、從陵出之、指倭國而飛之。群臣等、因以、開其棺-[木親]而視之、明衣空留而、屍骨無之。於是、遣使者追尋白鳥。則停於倭琴彈原。仍於其處造陵焉。白鳥更飛至河内、留舊市邑。亦其處作陵。故時人號是三陵、曰白鳥陵。然遂高翔上天。徒葬衣冠。因欲録功名、即定武部也。是歳也、天皇踐祚[廿廿(四十)三年焉])四国がはやくから死の国、根の国、他界と考えられていたということでしょう。その宮崎忍勝「神話と遍路」では「四国は畿内、出雲、熊野と共に銅鐸の出土がおおくこれは大和朝廷より古い神話文化圏があったことを意味するのではないか」ともいっています。また19年9月11日の産経新聞には愛媛県の四国山地から日本初の天然ダイヤが産出したという記事がありました。やはり四国は特別の地なのでしょうか。

 たしかに寺寺にも古い歴史があります。役行者本記には「天武八年(六百七十八)八栗、足摺、石槌へ赴く」とあり88所のうちには役の行者開基とされる寺が4寺あります。行基菩薩開基とされる寺は27寺となっています。頼富本宏「四国遍路とはなにか」によれば、扶桑略記に記された奈良時代の唐僧神叡や入唐僧道慈の求聞持法修行に代表される山岳修行や辺地修行がすでに先行しておりそれが大師信仰と結びついたとされています。いずれにせよ奈良時代から四国88所の原初形態はあったとされています。

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